三谷幸喜氏の脚本による大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれている鎌倉時代をはじめ、日本の歴史上では数多くの「合戦」が繰り広げられてきた。合戦の歴史を紐解いてみると、生身の人間たちの“リアル”な心理状況が読み取れるのだ。

 ここでは、東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏の著書『「合戦」の日本史 城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル』(中央公論新社)から一部を抜粋。日本と外国の城攻めの違いや、鎌倉時代に起きた「蒙古襲来」のエピソードなどを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

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日本と中国の異なるお城事情

 それでは本節から、城とは何か、どうして城を攻めなければならないのか、という点について考えていきたいと思います。

写真はイメージです ©iStock.com

 まず、日本における城というものが作られる歴史を追っていきたいと思うのですが、たとえば漫画家の横山光輝先生の『三国志』や原泰久先生の『キングダム』などを読むと、城攻めのシーンがよく登場します。ご存じの通り、いずれも中国が舞台になった漫画です。

 日本は中国の都市開発などを学んで、それを輸入するかたちで平城京や平安京などを作りました。しかし、『三国志』や『キングダム』の描写と比較するとよくわかるのですが、日本と中国では都市の作り方に決定的な違いがあるのです。

 果たしてそれは何でしょうか。

 先に答えから言ってしまいますと、それは「城壁」の存在です。実は平城京も平安京も含め、日本の都には城壁が全くありません。城壁もなければ城門もないのです。これに対して、『三国志』や『キングダム』なんか見ると、都市というものは普通みんな城壁に囲まれて、攻撃を仕掛けるときは城攻めの形になるのです。

 そうなると城壁をいかに攻略するか、城門をいかに突破するかという発想になってくると思います。そのための武器や兵器も中国では作られています。これはユーラシア大陸を挟んで西のはずれであるヨーロッパでも事情は同じでした。同様に城壁に囲まれた都市作りが行われ、攻城用の武器・兵器が開発されています。そして、そのいずれもが中国の兵器とよく似ているのです。

 たとえば、大きな石を遠くまで投げることができる投石器(カタパルト)や、下部に車輪をつけて移動させ城壁に取り付いて上へと登ることができる攻城塔。また、丸太を大きな車にくくりつけて、先端を尖らせ、城門へとぶつけて破壊する破城槌などです。

 こうした攻城兵器は中国やヨーロッパにはあるのですが、日本にはありません。なぜかといえば、日本にはそもそも城壁で覆われた都などなかったので、城攻めをする必要がなかったからです。