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カナダ留学後、無理やり十勝毎日新聞社に入れられ…

 ある日、十勝日日新聞社の菅野光民社長が、資源調査探検中に巨熊に襲われ殉職してしまったんです。それで曽祖父は菅野氏の遺志を継ぐことになり、1919年に新しく作ったのが十勝毎日新聞社です。

 曽祖父は大分出身だったので温泉が好きで、新聞社経営の傍ら、温泉発掘をしていました。それで掘削、命名したのが十勝川温泉。曽祖父は十勝毎日新聞社をメインでやっていたのですが46歳で急逝、北海道で生まれた祖父が引き継ぎ、1956年に、十勝川温泉第一ホテルの前身『十勝川温泉クラブ』を開業しました。さらに父が経営を多角化し、FM、ケーブルテレビ、インターネットなどの新しいメディアを創り上げました。そちらは兄が継いで、私は観光事業に携わっています。

 私は、生まれも育ちも十勝帯広です。大学卒業後、カナダ留学から戻ってきて無理やり十勝毎日新聞社(以下、勝毎)に入れられて(笑)、記者を2年ぐらいやって。その後、グループのホテルやレストランに出向しました。ホテルでは、サービス、宴会、総務など一通り経験しました。

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サウナ観を変えた、ととのえ親方との出会い

「2018年の11月22日まで、サウナは大嫌いだったんですよ。その年の7月に、ととのえ親方(札幌市在住のプロサウナ―)と出会ったのですが、『自分サウナ嫌いなんで、多分二度と会うことはありません』って冗談で言ったくらいです(笑)。ただ、話を聞いていたら、サウナ人脈も広いし、サウナっていうのはすごそうだなと少しずつ思うようになって。

 そして、翌8月に台湾のお金持ちの投資家が、50億のプライベートジェットで帯広空港に降り立つんです。何しに来たんですかと彼に聞いたら、湖沿いに別荘を建てて、サウナしてから飛び込みたいと。そんな話を聴いているうちに、実はたまたま私共のホテルにも、2部屋だけサウナつきの部屋があったことを思い出しました。

 でもこのホテルに誰もサウナーがいなかったので、全くサウナを売りにしてなかったんですよね。そんなとき、ととのえ親方が、是非一緒に入ってサウナーになろうと言うので、仕方ないなと大浴場のサウナに入ったんです。肌があまり強くないので、普通のドライサウナだとひりひりするのがすごい苦手で。でも、壁にロウリュしてみたら、湿度が上がって全然のども痛くないし、ここのモール温泉の良好な泉質も相まって全くひりひりしない。水風呂も嫌いだったんですけど、それも見事にハマってしまって。