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“近代オリンピックの父”は「品位を下げる」と女性の参加に反対…現代にもつながる“男性中心的”な五輪ヒストリー

『フェミニズムってなんですか?』より #2

2022/05/20

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 政治, 国際, メディア, 読書, スポーツ, 歴史

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なぜ、女子オリンピックは一度のみしか開催されなかったのか。

 清水 それがいまや参加国数200を超えるメガイベントに拡大しました。最近オリンピックのあり方に疑問の声が多く上がっていますが、始まりの差別的構造を内包したまま、これほどまでに規模が大きくなりすぎたことがその根底にあるのでしょうか?

 井谷 本格的な商業化の契機となったのは1984年ロサンゼルス大会です。76年のモントリオール五輪が市に巨額の負債を残したことを知ったロサンゼルスの人々が、84年の大会で公的資金の使用を拒否したため、スポンサー制度を導入することになりました。また、86年にはプロの選手も出場できるようにルールが変更されました。プロ選手の参加でエンターテインメント性が高まり、放映権料やスポンサー料もどんどん値上がりし、大会規模もさらに拡大していきました。 

 ところで、商業主義がオリンピックの精神を歪(ゆが)めたから、オリンピック憲章に基づいたアマチュア主義に回帰すべきだと主張する研究者は多いのですが、プロ選手の参加が許されなかった時代には、スポーツに専念できたアマチュア選手の多くは富裕層出身であるか、国がスポンサーとなり生活を支えていました。80年代以前のオリンピックは富める者の大会であったという見方もできるわけです。 

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 商業主義によって肥大化したことは問題を大きくしていますが、今なお、欧米の白人男性の身体文化をベースとした体質とイデオロギーを引きずっていることにこそ、オリンピックの根深い問題があるのではないかと感じます。

 清水 1900年の第2回パリ大会からは、女性も参加しますね。クーベルタンは女性の参加はオリンピックの品位を下げると最後まで反対していたと聞いていますが……。

“近代オリンピックの父”ピエール・ド・クーベルタン男爵 Photo : http://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre_de_Coubertin, Public domain, via Wikimedia Commons

 井谷 当時はオリンピック開催地の組織委員会に種目や参加者を決める権限が与えられていました。パリ大会で女性選手が参加したのは、テニス、馬術、ゴルフと男女ミックスでのセーリングなどです。いずれも上流階級が楽しんでいたスポーツであり、当時の欧米の上中流階級の女性の装いからかけはなれない服装でプレイができる種目ばかりでした。

 その後、女子競技の数はなかなか増えず、それに不満を持ったフランスのフェミニストで国際女子スポーツ連盟を組織したアリス・ミリアが、1922年に陸上競技なども含めた「国際女子オリンピック大会」をパリで開催します。

 出場を希望する選手も多く大成功を収めましたが、予想以上の人気を博したこともあり、女子だけのスポーツ大会に、「オリンピック」の名称を使用することをIOCが許さず、26年第2回大会からは「国際女子競技大会」という名になります。オリンピックの名称を外す条件としてミリアが出したのが、28年アムステルダムオリンピックにおいて陸上競技への女子の出場を認めることでした。

 余談ですが、82年にスタートし、4年に一度開かれているゲイやレズビアンのための国際競技大会であるゲイ・ゲームスも当初はゲイ・オリンピックという名称を使う予定が、IOCが使用を許可しなかったという経緯があります。「数学オリンピック」はOKなのに、女とゲイはオリンピックを名乗る資格がないということなのでしょうか。