振り返ると、1970年代はSFマンガやアニメの宝庫だった。その時代の影響を直球で受けたという日渡早紀が生み出したのが、名作『ぼくの地球を守って』だ。

 日渡は1982年のデビュー以来、40年にわたり活躍を続けているが、マンガ雑誌を取り巻く環境や、作家と読者の関係性は大きく変わった。失われたもの、新たに生まれたもの──。マンガ家として第一線を走りつつ、日渡早紀が感じる40年間の変化を訊いた。(全3回の3回目/1回目を読む

◆◆◆

ADVERTISEMENT

『ぼくの地球を守って』©日渡早紀/白泉社

本や雑誌を読みまくった少女時代

――日渡先生のご実家は本屋さんだったそうですね。

日渡 実家が本屋となりますとね、本当に読みたいものに手が出せるんですよ。 有り難いことに、私が子供の頃にはそれが可能でした。マンガの単行本はパウチ処理もせず、ビニール袋にも入れていませんでしたから。

――そうでしたね。80年代ごろまでは、雑誌やマンガは本屋でわりとそのまま読めました。

日渡 呼ばれた作品に手を伸ばし、目を通しては、それが血肉になって内容を忘れていきました。そして新たに呼ばれた作品を読んでいく。

――おうちが本屋さんだと、いくらでも読めますね。

日渡 はい。活字もマンガも雑誌も大衆誌もオカルトもエチエチもアイドル誌も映画雑誌もサイエンス誌も。読みたい部分だけをかじり読みして、全部血肉にして忘れていきました。

 そこで自分の中の生き残ったフェチが熟成して、己の作品が始まったんだなと思っています。『花とゆめ』はちょうどそこに、いい塩梅とタイミングで出会えた雑誌です。

小説のマイベストは星新一

――日渡先生の創作のベースには多くのマンガや小説があると思いますが、特に影響を受けた作品は?

日渡 小説でいうと、星新一先生は『午後の恐竜』が一番好き。圧倒されました。一番読んだ気がします。《おーいでてこーい》から衝撃を受け、貪るように読みました。そしてほぼ忘れる。

『午後の恐竜』©星新一/新潮社

 筒井康隆先生はアクマが出てくる短編が好きでした。最後に「アンタの女房役は、悪くなかったぜ」とウインクするやつ。

――マンガはいかがでしょうか。