私の教え子で、教師になった学生はたくさんいます。中学校で教えている若い教師もいます。彼が習字の時間に「このハネは素晴らしい! みんなも見習うように」と、不良と呼ばれている生徒を二度ほめたところ、この生徒は「本格的に書道を習いたい」と言いだしたそうです。
そういう変化や成長を導くことができるのが、ほめ言葉です。ほめ言葉とは、人を伸ばす光であり水です。
言葉は印象的であればあるほど長く残る
自分自身を思い返してみてください。学生のときにほめられたことは、そのときの状況までよく覚えているものです。二、三十年前のことでも、昨日のように思い出せるのです。
ほめられることの快感は、それくらい強烈なものです。その日そのときだけのものでなく、生涯のモチベーションになることもあります。ほめ言葉の効力は、想像以上に大きいのです。
言葉は、その場限りで消え去るものではありません。印象的であればあるほど、長く残ります。
いい言葉だけではなく、悪い言葉もそうです。
小さいときに「キミは頭が良くない」と言われれば、ずっと引きずり、そう思い込んでしまうと、大変な重石になってしまいます。そのコンプレックスから脱却するには、多くのエネルギーを使うことにもなるのです。
地雷を踏まないために
ほめられずに育った子は、大人になって世間から良い学校に行っていると思われたり、社会的に成功したりしても、自分に自信がもてない人が多いようです。
昭和の中頃までは、心を鬼にして厳しく注意することが、相手の将来を考えたやさしさ、スパルタ指導こそがしつけだと思われていました。
しかし、今の若い人たちにそんな言葉を投げつけたなら、すぐに心が壊れてしまいます。うっかり部下や生徒の心を傷つけただけでもハラスメントとして問われる時代です。
絶対に踏んではならない地雷があちこちに敷き詰められている中で、どうすればいいか。まずは「相手にとって何が地雷か?」を把握しておくことです。
もちろん個人差があるので、誰の地雷も踏まないようにするなら、「人にとってマイナスなことは絶対に口にしない」と決めることです。
そのうえで、できるだけほめる。そういう姿勢でいることが、地雷を除去するのと同じ意味をもちます。