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南口からまっすぐのびる大通りを歩いて行く

 佐賀駅南口からは、まっすぐさらに南に向かう大通りが延びている。並木道になっていて、車線も多い文字通りの大通り。中央大通りという名のようで、つまりは佐賀駅からまっすぐ下るこの道が、佐賀の市街地の背骨のような存在なのだろう。道沿いにはホテルや金融機関、保険会社などの背の高いビルが建ち並ぶ。こうした駅前通りの風景は、まさしく県都の玄関口にふさわしい。

 
 

 中央大通りを少し南に行くと、駅前交番西というとてつもなく大きな交差点に出る。この交差点の北側には、通りを挟んで東京海上日動と朝日生命のビルが向かい合う。

 
 
 

 朝日生命ビルの前の「駅前まちかど広場」と名乗る小さな広場には、江藤新平や大隈重信といった歴史の教科書にも登場する偉人たちの像が並んでいた。そう、すっかり忘れていましたが、佐賀は幕末・維新期には薩長土肥の一角で、新政府にも多くの人材を輩出している。いまの佐賀駅前は、その肥前佐賀藩の城下町なのである。

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そのまま駅から離れていくとなぜかどんどん繁華街に…

 駅前の道をまっすぐまっすぐ下ると、町の様子は駅前と比べても引けを取らない……どころかどんどん繁華になってゆく。唐人一丁目北交差点付近からは飲食店や商業施設の類いも目立って増えてきて、脇道にはアーケード街もある。この一帯、唐人町商店街といい、佐賀では最大の繁華街になっているようだ。

 唐人町の由来は江戸時代に佐賀藩主鍋島氏に仕えた朝鮮半島出身の李氏一族が暮らしたことにあるという。このあたりの中央大通り東側には愛敬通りという、佐賀でいちばんの歓楽街も広がっている。

 
 

 さらに進むと玉屋という百貨店がある。佐賀玉屋は、江戸時代からの呉服商である田中丸呉服店が佐賀県内で初めての百貨店である丸木屋呉服店の経営を引き継ぎ、1933年に佐賀玉屋の名で営業を開始したものだ(現在地への移転は1965年)。

 つまりたいそうな老舗というわけで、なんでも九州で5番目の百貨店らしい。そうしてまだまだ中央大通りを進んでゆくと、駅から20分ほどで見えてくるのが佐賀城のお堀である。

 
 
 
 

町の中核だった佐賀城と玄関口の駅を一直線に結ぶ大通り

 佐賀の町の背骨たる中央大通りは、江戸時代までの町の中核だった佐賀城と、近代以降の町の玄関口たる佐賀駅を、まっすぐ一直線に結ぶ。大通りの名にふさわしい役割を得ているといっていい。

 
 
 

 お堀の先(つまり佐賀城内)には佐賀県庁が建ち、ずっと進んで行けば再建された佐賀城がシンボルの佐賀城跡、そして県立美術館・博物館などが広がるいわば佐賀のセントラルパークへ。といっても、お堀の中には路地が入り組むような一角もあって、すべてが公共用地などに改められたわけではないようだ。もともとは藩主に仕えたお侍のお屋敷が広がっていたのだろうか。