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中国人30~40代の「青春の教科書」

 中国で『スラムダンク』を知らない人はいない。

 私は普段「みんなその作品を知っている」というようなことを極力言わないようにしているが、『スラムダンク』に関しては断言できる。少なくとも、現在の中国の30~40代の男性の中で『スラムダンク』を知らない人はいないと自信をもって断言できる。

上海のイベントでの一幕 ©時事通信社

なぜ30~40代なのか。この問題は中国におけるこの20~30年間の大激変に関わっている。

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 2000年代初頭から、彼らは中国で1980年以降に生まれた世代として「80後(バーリンホウ)」と広く呼ばれるようになった。この「80後」は上の世代とのあいだに、あまりに大きなジェネレーション・ギャップを抱えた世代だ。

 1978年に改革開放政策が提起され、それまではほぼ鎖国状態にあった社会主義の中国はいわゆる市場化経済への移行をはじめ、国の門戸を開きはじめた。

 1992年までの模索期を経て、それ以降中国の経済成長が一気に加速していき、社会もそれに伴って大きく変化していった。つまり、「80後」はそのような激変の時期を生きてきた世代であり、上の世代が全く知らなかった世界や価値観に触れながら成長してきた世代である。

 改革開放前の中国は、文化大革命という大きな動乱期を経験していた。その時代は文学や演劇などの芸術は、革命思想を表現するごく一部のものに制限されていた。そのため、文化大革命後に中国では一種の文化的な空白状態が生じていたのだ。

 それに対して、1990年代の急速な市場経済化によって、香港や台湾を経由して多くの海外のゲーム、映画、音楽、アニメ、マンガなどが中国に(多くの場合は海賊版という形で)大量に輸入された。その中でも、1995年から1996年にかけて中国で放映された『スラムダンク』が圧倒的な支持を受けた。この作品では彼らにとって、全く新しく魅力的な世界が展開されていたからだ。

「80後」世代の若者たちにとって、『スラムダンク』はほぼはじめて現在の日本人が持っているような「青春」のイメージを提示した作品だった。それまで、中国にはスポーツに熱中し、仲間たちと切磋琢磨するという「青春」のコンセプト自体が存在しなかったのである。それまでの中国のアニメといえば、子供向けの幼稚なものや、国や親の意図に沿った教育目的の作品が主なものだったのだ。

 それに対して、『スラムダンク』は恋愛、仲間たちとの友情、夢のために頑張る熱血さなど、いずれもそれまでの中国の若者たちの生活にまったくなかったイメージを提供した。

 いくつか、中国人のファンたちのあいだで、よく取り上げられるシーンを挙げてみよう。キャプテンの赤木は、言うことをまったく聞かないやんちゃな主人公・桜木花道に手を焼いている。赤木がげんこつで桜木の頭にたんこぶを作るシーンは、アニメを見ていた人々にとっては定番のものだろう。中国人ファンがスラムダンクならではの“友情”を知った有名なシーンは、桜木のミスによって試合に負けてしまう海南戦にある。涙を流す桜木の頭に赤木が優しく手を置いて「これで終わりじゃねぇ/決勝リーグはまだ始まったばかりだ/泣くな」と言う場面は、2人の間に友情や絆が芽生え、桜木がチームメイトとともに成長していく様を象徴する感動的なシーンである。

 失敗を悔いるのではなく、チームメイトが一丸となってその試合で何を成し遂げ、これからの試合で何ができるかを考えようという希望がこのシーンにはある。そして、同時に、桜木花道の努力に対する肯定と期待を示す台詞にもなっている。

 ネットでの感想を見ると、多くの中国の若者はこのシーンから、「失敗こそ成長につながる」というメッセージを読み取っている。後に詳しく述べるような、中国のように競争が過剰な社会では、失敗すること自体がリスクであり、その人の能力のなさの証明である、という考え方が一般的になってしまっている。しかし、このシーンは結果がすべてなのではなく、仲間とともに失敗を受け入れ、その後の成長につなげることが重要だということを伝えることで、中国の読者に一種の開放感を与えている。

 また、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という安西監督の名セリフは、中国でも人口に膾炙している。先日、ある中国の小さな田舎町の高校のバスケットボール部が北京の名門高校を破って全国大会で優勝したことがニュースになった。それを伝えるニュースでは「リアル・スラムダンク」と形容され、その熱血ぶりを安西監督のセリフを借りながら称える記事が出たほどだ。このセリフはメンバーである三井寿が中学時代にその言葉に励まされ、また後に彼が怪我のせいでバスケットボールをやめて、失意によって道を踏み外したあとも、再び戻ってくるきっかけともなった象徴的な一言である。

 三井が顔中を血だらけにして、泣きながら心から発した「安西先生……!!  バスケがしたいです………」という言葉には、あきらめていた自分への後悔や自責と、あきらめないことの大切さを思い出したときの安堵と希望が込められている。「ほんとうの自分」を手放さないことの価値を中国の若者が知ったシーンだ。

 主人公の桜木もまた、試合の相手校に圧倒的な点差をつけられ、あきらめかけたとき、安西監督からその言葉をかけられる。そして、再び立ち上がってコートに戻り、自分を信じ抜くことで、最終的に試合に勝つ。テクニックや才能だけでなく、夢を諦めないという不屈の精神こそが望ましい結果をもたらすというメッセージが込められたこのシーンは、中国の若者たちを鼓舞した。今でも、多くの人が自分の「人生を変えた名台詞」としてこのシーンを選んでいるほどである。