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ファンタジーは現実を凌駕できたのか?

「『パンズ・ラビリンス』は、現実の過酷さを見せつけるビター・エンド(苦い結末)でしたね」

「『ファンタジーは個人の魂を救えるかもしれないけど、現実に対しては無力』という結論やからな。リアルでクールな認識やし、それゆえに作品としての完成度も高いけど、デル・トロ自身の『魂の救済』にはならんかったんやないかな。だから彼は、『シェイプ・オブ・ウォーター』で改めて、『ファンタジーの世界を現実の脅威から守り抜く』というテーマを展開するとともに、『過酷な現実をファンタジーの力で変革する』というさらに野心的な挑戦を試みたんやないやろうか。

 デル・トロが作品の中に過剰なまでの政治的メッセージを潜ませたのも、賞狙いだけが目的やなくて、そういう明確な意図があると考えれば納得がいく。デル・トロのこういうしたたかさは、『妄想に耽る自己を見守りつつ現実に脅える自己』のさらに上層にある『現実と折り合いをつけ、過酷なハリウッドの世界で映画作りを続ける強い〈大人〉としての自己』のなせる業やろう。つまり、デル・トロの自己は三層構造を成しており、彼はそれらの自己を時と場合に応じて自由自在に使い分けることを通じて、本気で『自分の紡ぐ物語の力で現実を変える』ということに挑んでいるんや。そして、それ自体が彼自身の自己救済への道なんやろう」

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©getty

「その試みは、『シェイプ・オブ・ウォーター』で成功したんでしょうかね」

「うーん。観る人によって評価は分かれるやろうし、最終的には『デル・トロ自身が救われたかどうか』で、それは決まるんやと思う。だけど、作品自体の結末はともかくとして、キャラクター自体の説得力や存在感で判断する限り、オレはやっぱり今回も、『ファンタジー(半魚人)を守ろうとするヒロイン・イライザ』よりも『ファンタジーを圧殺しようとする過酷な現実の象徴であるストリックランド』の方に軍配を上げざるを得んわ。つまり、今回も『ファンタジーは現実を凌駕できなかった』と思う。デル・トロ自身も、実はそのことには気づいているんやないかなあ」

「小石さんは、よっぽどストリックランドが怖かったんでしょうねえ。私も逆に、怖い物見たさの気持ちが湧いて来ましたよ」

「どうしても、イライザのキャラ立ちがストリックランドよりも劣ってしまうのは、ストリックランドがデル・トロの内面にデフォルトで存在するのに対し、イライザは『こういう女性やったら半魚人に惚れても不思議はない』という逆算的な手法で作り出された面が多いキャラクターだからやないかな。もちろん、イライザの核心的な部分は、『パンズ・ラビリンス』の主人公の少女と共通するし、それもデル・トロの内面に元々住んでいるキャラクターやと思う。だけどそのままでは、とうてい大尉やストリックランドには勝たれへんから、色々と設定上のお化粧が必要やったんやないかな。心の中に元々住んでいるキャラは、頭の中で作り出された部分が多いキャラよりも強い、というわけや」

©2017 Twentieth Century Fox

「そういえば、『パンズ・ラビリンス』の主人公の少女は、イライザを演じるサリー・ホーキンスとどことなく雰囲気が似ていましたね。彼女が成長すればイライザっぽくなるのかも」

「オレは『シェイプ・オブ・ウォーター』は『前向きの失敗作』やと思う。いつの日かデル・トロは、『今度こそファンタジーの力で現実を打ち負かす』ために、もう一度同じモチーフの作品作りに挑戦するんやないやろうか。宮崎駿作品もそうやと思うけど、作り手が何度も何度も同じテーマ・モチーフに挑戦し、挫折を繰り返しつつも作品を深化させていく様を見守り続ける。それも映画を観る大きな喜びのひとつであり、観る側の教養にもなっていくと思うんや」

INFORMATION
(C)2017 Twentieth Century Fox

『シェイプ・オブ・ウォーター』

3月1日(木)全国ロードショー

http://www.foxmovies-jp.com/shapeofwater/