この映画は一種の「踏み絵」的なポジションにある
小「それについて言えば、この映画の特徴のひとつは『映画通ぶりたい人や、インテリぶりたい人が誉めるには格好の作品』ということやね。この映画を誉めれば『映画のことがよく分かっているリベラル系インテリ』というポジションは保証される。だからこそ、映画人たちはこぞってこの映画を誉めている、というか、ハリウッドでは『この映画を誉めないと自分の立ち位置が危うい』ということにまでなっていたんやないかな」
恋「それってどういうことですか? 例によってひねくれた見方なんでしょうけど」
小「政治的な文脈からこの映画を観れば、半魚人は言うまでもなくマイノリティー、被差別者の比喩的表現や。そして、赤ん坊の時の虐待が原因で話すことができないヒロインも、監督自身の言葉を借りれば『意見を封じられた人々の象徴』となっている。ヒロインと共に半魚人を救おうとする人びとも、黒人の清掃員だったり、ゲイの老人だったりと、社会的弱者ばかりや。
一方、悪役・ストリックランドの愛読書は『積極的考え方の力』(原題:『The power of positive thinking』)という、パワーエリートが好みそうなベタな本。映画評論家の町山智浩氏によれば、実在するこの本の著者は、トランプ大統領が師と仰ぎ、最初の結婚式を挙げた教会の牧師さんだそうや。
要するに、映画全体が『トランプ的マチズモに対する社会的弱者や女性、性的マイノリティーの抵抗物語』という非常に分かりやすい構図になっている。デル・トロ自身、『1962年という舞台は現在のアメリカの鏡。でも、現在を舞台にしたら、政治討論が始まってしまう。だから〈昔むかし……〉とおとぎ話にすれば、みんな聴いてくれるというわけなんだ』と話しているぐらいやしな」
恋「監督自身がそんな種明かしするようじゃあ、『これは政治的な作品です』と公言しているようなものですね」
小「うがった見方をすれば、反トランプ・反セクハラ運動がこれだけ盛り上がっているハリウッドでは、この映画は一種の『踏み絵』的なポジションにあるんやないかな。しかも、単なるゲテモノ作品じゃなくて、フレッド・アステアらのミュージカル映画に対する敬意とオマージュにも満ちている。ハリウッドの『表の伝統』と、怪物映画という『裏の顔』との絶妙なマリアージュとは、いかにもインテリ映画人の喜びそうな構図やないか。オレがアカデミー賞の審査員だったとしても、絶対にこの映画に受賞させるな。そうせんと、自らの見識や政治姿勢を疑われかねんからな」
恋「ふーん。賞狙いで意図的にやっているとすれば、デル・トロ監督も相当したたかですね。で、そういうハリウッドのお家事情とはどう転んでも縁のない小石さんは、この映画をどう評価するんですか」