日航123便は7年前のしりもち事故を起こしていた
松尾はオペセンで前日の12日夜、日航123便の機体の国籍・登録記号が「JA8119」であることや、7年前の1978(昭和53)年6月2日に大阪国際空港(伊丹空港)で着陸時にしりもち事故を起こし、後部圧力隔壁(アフト・プレッシャー・バルクヘッド、直径4.56メートル、深さ1.39メートル)などを修理した機体であることを確認していた。御巣鷹の尾根に墜落する前にJA8119号機が管制やオペセンとやり取りした通信内容も聞いていた。
参考までに挙げると、JA8119号機の総飛行時間は2万5030時間18分、総着陸回数は1万8835回で、このうちしりもち事故で隔壁などを修理した後の飛行時間は1万6195時間59分、着陸回数は1万2319回だった。修理後のこの飛行時間と着陸回数の中で隔壁に疲労亀裂が発生していくことになる。
7年前のしりもち事故の当時、松尾は機体やエンジン、装備品の分解・組み立て・改修を担当する現場責任者の整備本部技術部長だった。松尾は垂直尾翼のないJA8119号機の飛行写真を見ながら思い出した。
「しりもち事故の直後、あの機体(JA8119号機)は応急的に仮の修理を施した後、伊丹空港から羽田空港まで飛ばして日航の整備工場まで運んだ」
その空輸飛行には松尾自身もオブザーバー・シート(機長席後ろの席)に座って同乗した。
「圧力隔壁が壊れていたから与圧はしないで低い高度(2000~2500メートル)を飛行した」
「恒久修理はメーカーのボーイング社のチームが来日して羽田整備工場で行った」
問題のしりもち事故とは
ところで、墜落事故の7年前に起きた問題のしりもち事故はどんな事故だったのか。事故は1978(昭和53)年6月2日の午後3時ごろに起きている。東京・羽田発の115便(乗客乗員394人)として大阪国際空港(伊丹空港)に着陸した際、3回ほど大きくバウンドして機体後部の下部が滑走路に接触し、機体が壊れた。幸い火災は発生しなかったが、この事故で乗客2人が骨折や打撲の重傷、乗客23人が軽いケガを負った。
原因は着陸ミスだった。機長の着陸操作が不適切だったために機体がバルーニング(再浮上)し、このバルーニングを解消しようと、航空機関士(FE、フライト・エンジニア)がスピードブレーキ(グランド・スポイラー)の操作をしたが、失敗して揚力が急速に減少して落下した。
このしりもち事故でJA8119号機は、水平尾翼の水平安定板(ホリゾンタル・スタビライザー)駆動装置、補助動力装置(APU)のフレーム、下部構造体などの損壊、損傷、変形、亀裂、すり傷、摩滅のほか、7年後の日航ジャンボ機墜落事故の事故原因に直結する後部圧力隔壁の下部が変形した。
JA8119号機はさらに、墜落事故の1年前の1984(昭和59)年8月19日、北海道の千歳空港で着陸時に右の第4エンジン・ポッド(エンジンカバー、カウル)を滑走路に擦り付けてゴー・アラウンド(着陸の復行)する事故も起こしていた。ゴー・アラウンドに失敗していたら大惨事に結び付きかねない事故だった。度重なる不運を背負った機体、それがJA8119号機であった。