遺体はどれも墜落の衝撃でズタズタに引き裂かれ…
遺体はどれも墜落の衝撃でズタズタに引き裂かれ、損傷がひどく、目をそむけたくなるものばかりだった。手足がなかったり、頭蓋骨が潰れたりする遺体などまだいい方だった。大半の遺体があごの骨、歯、歯茎、内臓、胴体の一部…と引きちぎられていた。焼け焦げているものも多かった。
バラバラの遺体は群馬県警の警察官や地元の医師、看護師らの手によって1つ1つ検視し、身元を確認して土の汚れを取り除いてから丁寧に安置された。しかし、どうしても氷やドライアイスは暑さですぐに溶けてしまう。ウジも湧く。安置所とその周辺は腐敗臭とお線香の匂いで一杯になり、それらが混じり合った異臭が遺体の安置作業を続ける日航社員の髪の毛や衣服にもこびり付いた。
遺族たちは遺体の身元が確認されるまで藤岡市内の小学校や中学校に設置された控室で待機した。無理もないが、世話役の日航社員に怒りや悲しみをぶつける遺族も多かった。13日午後2時8分、応急手当を受けた2人の生存者が自衛隊のヘリで藤岡市立第一小学校の校庭に到着した。その4分後には残りの2人の生存者も東京消防庁のヘリで運ばれてきた。
墜落直前の日航123便
日本航空が現地対策本部を置いた藤岡公民館と4人の生存者が運ばれた第一小学校は近かった。しかし、松尾は遺族の対応に追われ、4人が救急車で病院に運ばれるのを見送ることさえできなかった。
そんななか、松尾は部下が買ってきてくれた読売新聞の夕刊(8月13日付)に掲載された写真を見てハッとした。墜落直前の日航123便を東京都奥多摩町日原で撮影した写真だった。かなり引き伸ばしたのだろう。日航123便の影はぼやけている。だが、よく見ると、垂直尾翼の大半がないことが分かる。
なぜ垂直尾翼を失ったのか。この謎を解き明かすカギは、隔壁と与圧にあった。高い高度を飛行する旅客機は、客室やコックピットの気圧を地上の1気圧とほぼ同じ気圧に保つためにジェットエンジンの力で圧縮した空気を機内に送り込む。だから機体は風船のように膨らんでいる。これが与圧だ。
簡単に言えば、飛行機は軽合金のジュラルミン製の風船である。与圧で外に向かって膨らみ、日航123便で「ドーン」という異常音がしたとき(12日午後6時24分35秒)、高度が2万3900フィート(7285メートル)だったから機体には1平方メートルあたり5.85トンもの圧力がかかっていた計算になる。すさまじい圧力だ。この強い与圧の力を受け止めるのがお椀の形をした圧力隔壁だ。圧力隔壁は機体の前部と後部にある。