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ボーッと生きている「ぼんやり日本人」の末路

この50年で日本社会は急速にサラリーマン化している

2018/06/19
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 競争がなく、企業内部の意思決定構造だけを気にするようになる姿は、江戸時代の藩に奉公するだけの武士の社会を彷彿とさせられる。戦国時代の武士は互いの国が激しく争い、侵攻を繰り返した。あらゆる権謀術数や裏切りが行われ、国の勢力図が刻々と変化した。国を出て他の大名に仕える「転職」も珍しいことではなかったのだ。

働き方改革と「ぼんやり日本人」

 ところが現代では競争がなくなって平和のように見えるいっぽうで、環境の変化に気づかずにただ今の瞬間だけ障りがなければそれでよし、多少の悪事に対しても「見て見ぬふりをする」風潮が世の中に蔓延している。

 こうした「ぼんやり社会」はいつまで続くのだろうか。競争が行われず、既得権益だけが守られ、それに唯々諾々と従うだけでは、人々はますますモノを考えずに、上に忖度するだけになってしまう。そんな社会では新しい発想は生まれないし、自分の勤める会社の価値観にすがって生きているだけでは、イノベーションなぞ決して起こりはしないのである。

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©iStock.com

 政治の世界でも、こうした「考えないサラリーマン」の問題意識のなさにずいぶん助けられている感もなくはない。だが、社会は確実に変化している。今審議が行われている「働き方改革」法案は、この「ぼんやり」生きているサラリーマンに対して、長時間労働の是正や非正規雇用の労働条件の改善、裁量労働制の拡大などを提言している。

ボーッと生きてんじゃねえよ、ニッポン人!

 サラリーマンを企業に縛り付けずに、自由な時間を持たせて豊かな消費社会を実現しようとの目論見であろうが、彼らに自由な時間を与えて副業なども認めるということは、江戸時代の武士に他藩との交流を許し、変わりゆく世界に気づかせるのと同様の効果があることに気づくべきだ。それは長きにわたって平和の世界に安穏としていた武士たちに危機感を植え付けるきっかけになるかもしれないのだ。この法案が施行された瞬間、日本人の多くが、日本だけがこのガラパゴスの世界で未来永劫生きることはできず、シェアリングエコノミーなど新しい産業分野で台頭する中国やアジア諸国から周回遅れとなっている日本の現状を認識することにつながるかもしれない。日本社会の持つ深刻な制度疲労に気づくチャンスが訪れるかもしれないのである。

 そう考えるとこの働き方改革は、平和ボケの日本人を「太平の夢」から目覚めさせる特効薬になるかもしれない。ボーッと生きてんじゃねえよ、ニッポン人!

ボーッと生きている「ぼんやり日本人」の末路

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