生検を嫌がった長田さん

 ――病気はどのような段階だったのでしょうか?

 小路 PSAはそのとき「4」くらいで、そんなに高くはなかったんですが、がんの疑いはあると思いました。というのも、はっきり覚えていますが、MRIの画像で、腹側と呼ばれる前立腺のちょっと上の方にがんを疑う所見があった。長田さんには、「がんかどうか調べるために生検したほうがいい」とお話ししました。でも、そこから生検を受けてもらうまで、さらに時間がかかりました。

〈情けない話だが、僕は検査が恐かった。それは検査に伴うであろう「痛み」への恐怖と、人前で下半身をさらけ出すことへの恥ずかしさによるものだった。〉(第1回

 ――長田さんの記事によれば、「ターゲット生検」を受けて、「前立腺がん」と診断されるのは2020年4月です。

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 小路 そうなんです。長田さんの希望は「生検はせずに、PSAを見ながら、MRIでフォローしてほしい」ということでした。当時はまだお付き合いも短いですから、私からかなり強く「そうは言っても生検すべきです」と説得しました。

小路医師の採血を受ける長田氏(2023年4月) ©文藝春秋

 それでも長田さんは自身の方針を曲げないので、「せめてタイトには見ていきましょう」と伝えて、数字は頻繁に見ました。でもやっぱり徐々にPSAが上がってきて、さらに血尿が出たことで、2020年2月になって、やっと生検を受けてもらえました。その時には、私が神奈川・伊勢原にある東海大学医学部付属病院に移っていましたから、初診から生検まで2年はかかったと思います。

※長田昭二氏の本記事全文(5000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています。全文では、小路氏が長田氏に提案した「新たな治療」、長田氏が亡くなるまでの闘病の様子、長田氏から小路氏が学んだことなどについて語られています。長田氏の「治療歴」の表も、全文では掲載しています。

■連載「僕の前立腺がんレポート
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第2回 がん転移を告知されて一番大変なのは「誰に伝え、誰に隠すか」だった
第3回 抗がん剤を「休薬」したら筆者の身体に何が起きたか?
第4回 “がん抑制遺伝子”が欠損したレアケースと判明…治験を受け入れるべきなのか
第5回 抗がん剤は「演奏会が終るまで待って」骨に多発転移しても担当医に懇願した理由
第6回 ホルモン治療の副作用で変化した「腋毛・乳房・陰部」のリアル
第7回 いよいよ始まった抗がん剤治療の「想定外の驚き
第8回 痛くも熱くもない放射線治療のリアル
第9回 手術、抗がん剤、放射線治療で年間医療費114万2725円!
第10回 「薬が効かなくなってきたようです」その結果は僕を想像以上に落胆させた
第11回 抗がん剤で失っていく“顔の毛”をどう補うか
第12回 「僕にとって最後の薬」抗がん剤カバジタキセルが品不足!
第13回 がん患者の“だるさ”は、なぜ他人に伝わらないか?
第14回 がん細胞を“敵”として駆逐するか、“共存”を目指すべきか?
第15回 「在宅緩和ケア」取材で“深く安堵”した理由
第16回 
めまい発作中も「余命半年でやりたいこと」をリストアップしたら楽しくなった
第17回 「ただのかぜ」と戦う体力が残っていない僕は「遺言」の準備をはじめた
第18回 「余命半年」の宣告を受けた日、不思議なくらい精神状態は落ち着いていた
第19回 余命宣告後に振り込まれた大金900万…生前給付金「リビングニーズ」とは何か?

第20回 息切れで呼吸困難になりかける急峻な斜面に、僕の入る「文學者の墓」はあった
第21回 がん細胞は正月も手を緩めず、腫瘍マーカーは上昇し続けた
第22回 
主治医が勧める骨転移治療“ラジウム223”は断ることにした
第23回 在宅診療してくれる「第二の主治医」を考えるときが来た
第24回 “余命半年”を使い切った僕は、足の痛みで杖が必要になった
第25回 貧血で階段が上れない…がん末期の体調不良は突然やって来た
(訃報) 「僕の前立腺がんレポート」連載中の長田昭二さんが逝去されました
番外編第1回 どうやって「念願の自宅で最期」を迎えることができたのか〈親族インタビュー〉

番外編第2回 「毎月外来で“ネタ探し”している雰囲気もありました」闘病記を書かれる主治医の気持ち〈主治医インタビュー〉
番外編第3回 “怖くない”前立腺がんで亡くなった長田さんの「生死を分けたもの」は何か?〈主治医インタビュー〉

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