「僕の前立腺がんレポート」連載中の長田昭二さんが逝去されました

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 文藝春秋PLUSで「僕の前立腺がんレポート」を連載中だった、医療ジャーナリストの長田昭二さんが、6月14日午後6時30分、前立腺がんのため、享年59にて逝去されました。

6月14日に亡くなった医療ジャーナリストの長田昭二さん ©文藝春秋

自宅で親族に見守られながら

 長田さんは5月下旬からパソコンの前に座っていることも難しくなり、ベッドで横たわりながら執筆していたことは、6月1日に公開した連載第25回に書かれている通りです。

 公開前夜まで、記事のプレビュー画面をスマホで繰り返し確認し、編集部には細かい誤字の修正が何度も届いていました。3日には、編集者との打ち合わせのため、文藝春秋本社を訪れています。

 ご親族によると、急激に体調が悪化したのは6日からでした。さらに、8日から言葉が出にくい症状が出て、脳梗塞が疑われました。入院や検査を勧められましたが、最後までご自宅で過ごしたいとの意思は強く、本連載にも登場する叔母、従妹に助けられながら在宅介護の生活に入りました。しかし、14日夕方、容体が悪化し、ご親族に見守られながら自宅のベッドで亡くなりました。

 長田さんは、機会があるごとに「最後まで克明に病状を書き残し、読者に伝えていきたい」と話していました。4月30日に放送されたNHK「ラジオ深夜便」のインタビューでも、次のように語っています。

「一人の人間ががんになって、命を落としていく過程を知ってほしい。昔、家で家族を看取っていた時代は『こうやって人は死んでいくんだな』と知る機会があった。でも、今はありません。

 僕の経過を知ることで、『自分が、がんになったとき、あるいはご家族がなったとき、こういう風にがんという病気は進んでいくんだ』と知ってもらえたら、医療ジャーナリストとしてはこんなに有り難い話はない」

 長田さんの遺志を受け、編集部では今後、ご親族の了承を得て、長田さんの闘病生活にかかわった方々のインタビューを、連載「僕の前立腺がんレポート」の番外編としてお届けする予定です。これまでの闘病、さらに最後の日々について、幅広い視点からお話を伺います。

 葬儀は6月19日、近親者で営まれました。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

 2025年7月1日

 文藝春秋編集部

※長田昭二氏 略歴

1965年7月生まれ。新聞社、出版社勤務を経て、2000年からフリーのジャーナリストとなり、文藝春秋、週刊文春、文春オンライン、夕刊フジなどで医療記事を中心に執筆。文藝春秋2023年7月号に寄稿した手記「医療ジャーナリストのがん闘病記」が大きな反響を呼び、文藝春秋電子版(現・文藝春秋PLUS)で、同年7月からオリジナル連載「僕の前立腺がんレポート」をスタート、自身の闘病を克明にレポートした。その赤裸々な内容は、病状にとどまらず、医療費や生前給付金の詳細、ホルモン治療による身体の変化、遺言の準備まで多岐にわたり、異色の闘病記となった。2024年11月には、この連載をまとめた著書『末期がん「おひとりさま」でも大丈夫』 (文春新書)を刊行した。

■連載「僕の前立腺がんレポート
第1回 医療ジャーナリストのがん闘病記
第2回 がん転移を告知されて一番大変なのは「誰に伝え、誰に隠すか」だった

第3回 抗がん剤を「休薬」したら筆者の身体に何が起きたか?
第4回 “がん抑制遺伝子”が欠損したレアケースと判明…治験を受け入れるべきなのか
第5回 抗がん剤は「演奏会が終るまで待って」骨に多発転移しても担当医に懇願した理由
第6回 ホルモン治療の副作用で変化した「腋毛・乳房・陰部」のリアル
第7回 いよいよ始まった抗がん剤治療の「想定外の驚き
第8回 痛くも熱くもない放射線治療のリアル

第9回 手術、抗がん剤、放射線治療で年間医療費114万2725円!

第10回 「薬が効かなくなってきたようです」その結果は僕を想像以上に落胆させた

第11回 抗がん剤で失っていく“顔の毛”をどう補うか

第12回 「僕にとって最後の薬」抗がん剤カバジタキセルが品不足!

第13回 がん患者の“だるさ”は、なぜ他人に伝わらないか?

第14回 がん細胞を“敵”として駆逐するか、“共存”を目指すべきか?

第15回 「在宅緩和ケア」取材で“深く安堵”した理由

第16回 めまい発作中も「余命半年でやりたいこと」をリストアップしたら楽しくなった

第17回 「ただのかぜ」と戦う体力が残っていない僕は「遺言」の準備をはじめた

第18回 「余命半年」の宣告を受けた日、不思議なくらい精神状態は落ち着いていた

第19回 余命宣告後に振り込まれた大金900万…生前給付金「リビングニーズ」とは何か?

第20回 息切れで呼吸困難になりかける急峻な斜面に、僕の入る「文學者の墓」はあった

第21回 がん細胞は正月も手を緩めず、腫瘍マーカーは上昇し続けた

第22回 主治医が勧める骨転移治療“ラジウム223”は断ることにした

第23回 在宅診療してくれる「第二の主治医」を考えるときが来た

第24回 “余命半年”を使い切った僕は、足の痛みで杖が必要になった

第25回 貧血で階段が上れない…がん末期の体調不良は突然やって来た

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