抗がん剤を打たない選択はあり得たか?

 ――連載を読んでも、春先になると、まともに食事が取れていなかった様子がうかがえます。

4月に入った頃は、コンビニ弁当を1日かけて食べる――という感じだったが、いま(4月29日)は2日に1回おにぎりを1個食べる――という感じだ。当然空腹にはなるし、つねにお腹がギュルギュルと鳴っているのだが、弱い吐き気が「食べる」という行為を阻止するのだ。〉(「僕の前立腺がんレポート第24回

 小路 食事がとれないと身体の中のバランスが崩れるんです。さらに長田さんの場合、がんが骨にも転移していて、血液は骨髄で作られますから貧血がゆっくり進行していた。加えて、がんの量が増えるとがん細胞から出てくる炎症性の物質も増える。身体の中のバランスを崩す要素がいくつもあったわけです。

 それを改善するのはなかなか難しいですが、本来はそこに補液といって、点滴をしたりして何とかコントロールする。ただ、長田さんの場合、在宅医療を選択しましたから、それを常時出来るわけではありませんでした。

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 ――長田さんは最後の1年、貧血を訴えていました。いまお話があったように、骨転移のために骨髄で血を作れず、貧血になっていたんですか? 

 小路 連載では、しきりに貧血のことを書かれていますが、正直なところ、貧血はそこまで劇的に進行してはいなかった。ヘモグロビンの正常値は大体13以上なんですが、長田さんはそれよりちょっと下の10とか、時々9というくらい。本来は輸血の適用はもうちょっと低いんですが、一度輸血してみたらものすごく体調がよくなった。それで定期的にしていました。

長田さんが最後まで過ごしたベッド(東京・新宿区) ©文藝春秋

 ――ということは、貧血気味ではあったけど、むしろ体をだるくしていたのは、がん細胞による「炎症」だったということでしょうか。

 小路 最後はそうですね。2025年2月ごろまで、輸血して体調がよくなっていた時期は炎症物質が高くなかったですから。ただ、抗がん剤でも貧血は進みますので、副作用における慢性的な貧血によるだるさもあったと思います。

 ――抗がん剤の副作用としての貧血ですね。最後に貧血に苦しめられたことを考えると、そもそも点滴の抗がん剤を打たないという選択肢はあったのでしょうか。

 小路 抗がん剤を打っていなかったら、さらに半年ほど早く亡くなっていたかもしれません。点滴の抗がん剤の1剤目「ドセタキセル」の効果は少なかったんですけど、2剤目の「カバジタキセル」を使った後は急速にPSAが下がりました。あの薬で長田さんの生命予後がだいぶ延びたと思います。あの効果がなければかなり厳しかった。昨年(2024年)に一気に悪化する可能性もあったと思います。

※長田昭二氏の本記事全文(8000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています。全文では、下記の内容についても触れられています。
・なぜ脳梗塞のような症状になった?
・長田さんの生死を分けたものは何か?
・主治医が長田さんから学んだこと

■連載「僕の前立腺がんレポート
第1回 医療ジャーナリストのがん闘病記
第2回 がん転移を告知されて一番大変なのは「誰に伝え、誰に隠すか」だった
第3回 抗がん剤を「休薬」したら筆者の身体に何が起きたか?
第4回 “がん抑制遺伝子”が欠損したレアケースと判明…治験を受け入れるべきなのか
第5回 抗がん剤は「演奏会が終るまで待って」骨に多発転移しても担当医に懇願した理由
第6回 ホルモン治療の副作用で変化した「腋毛・乳房・陰部」のリアル
第7回 いよいよ始まった抗がん剤治療の「想定外の驚き
第8回 痛くも熱くもない放射線治療のリアル
第9回 手術、抗がん剤、放射線治療で年間医療費114万2725円!
第10回 「薬が効かなくなってきたようです」その結果は僕を想像以上に落胆させた
第11回 抗がん剤で失っていく“顔の毛”をどう補うか
第12回 「僕にとって最後の薬」抗がん剤カバジタキセルが品不足!
第13回 がん患者の“だるさ”は、なぜ他人に伝わらないか?
第14回 がん細胞を“敵”として駆逐するか、“共存”を目指すべきか?
第15回 「在宅緩和ケア」取材で“深く安堵”した理由
第16回 
めまい発作中も「余命半年でやりたいこと」をリストアップしたら楽しくなった
第17回 「ただのかぜ」と戦う体力が残っていない僕は「遺言」の準備をはじめた
第18回 「余命半年」の宣告を受けた日、不思議なくらい精神状態は落ち着いていた
第19回 余命宣告後に振り込まれた大金900万…生前給付金「リビングニーズ」とは何か?

第20回 息切れで呼吸困難になりかける急峻な斜面に、僕の入る「文學者の墓」はあった
第21回 がん細胞は正月も手を緩めず、腫瘍マーカーは上昇し続けた
第22回 
主治医が勧める骨転移治療“ラジウム223”は断ることにした
第23回 在宅診療してくれる「第二の主治医」を考えるときが来た
第24回 “余命半年”を使い切った僕は、足の痛みで杖が必要になった
第25回 貧血で階段が上れない…がん末期の体調不良は突然やって来た
(訃報) 「僕の前立腺がんレポート」連載中の長田昭二さんが逝去されました
番外編第1回 どうやって「念願の自宅で最期」を迎えることができたのか〈親族インタビュー〉

番外編第2回 「毎月外来で“ネタ探し”している雰囲気もありました」闘病記を書かれる主治医の気持ち〈主治医インタビュー〉
番外編第3回 “怖くない”前立腺がんで亡くなった長田さんの「生死を分けたもの」は何か?〈主治医インタビュー〉

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