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キャリア軍人の「左遷」が生んだもの

 今年7月に刊行した拙著『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』(星海社新書)は、インパール作戦を含む牟田口の一生を追い、アジア太平洋戦争のなかでいかなる役割を果たしたのかを探るとともに、牟田口が「愚将」と評されるに至った日本陸軍の問題点はどこにあったのかということに着目した。

 拙著では、牟田口の置かれた状況を「不適材不適所」ということばで表した。これは、「適材適所」という四字熟語をった私の造語である。ここでは、ひとまず適切でない人材が適切でない地位や任務に就いてしまったという意味としておく。

©平松市聖/文藝春秋

 もともと、牟田口は陸軍大学卒業後、陸軍中央の部局で実務にあたった、今でいうキャリア官僚のような軍人だった。しかし、1930年代なかば、牟田口は陸軍内の派閥抗争に巻き込まれ、一転して、中国の前線部隊の司令官に「左遷」された。そこで起きたのが盧溝橋事件だった。指揮官の経験がない牟田口は、命令を二転三転し、現場を混乱させた。

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牟田口が証明した「不適材不適所」

 牟田口は、マレー作戦で自ら先頭に立って勝利を手にした。しかし、その結果、牟田口のなかに「イギリス軍は弱い」という意識が芽生えてしまった。牟田口がインパール作戦を強行したのも、そのような意識が根底にあった。

 牟田口は、しばしば感情によって方針を決定することがあり、変化する状況に対し、合理的判断を要求される軍司令官の職には不向きだった。彼のことを「不適材不適所」と称したのはそれが理由である。そして、その結果が「愚将」というレッテルではないだろうか。

 このように組織内の人間関係が人事に影響を及ぼすことは、今日でもよくある。たとえば、経営者の周りが「イエスマン」ばかりとか、何か不祥事が起きても、その責任者がなぜか懲罰を受けることなく、いつのまにか昇進しているとか。そのような組織は、いつしか誰かが「不適材不適所」となるのではないか。もし、そうなった場合の結果は、すでに牟田口が証明している。

 次はあなたが「牟田口」となって、前線に行かされるのかもしれません。