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健康を“善”、病を“悪”とする人生はつまらない

 また、樹木さんは生前のインタビューで、がんとの向き合い方について次のようなことを語っています。この当時、樹木さんは、伊勢神宮の式年遷宮を題材にした「神宮希林 わたしの神様」というドキュメンタリー映画を撮ったばかりでした。少し長いですが、大事なところだと思うので、引用してみます。

「映画の中でも、私は、『高齢者をいたわりなさい』などとブツブツ言いながらも、石段を登ってお参りしたり、式年遷宮で使うヒノキを育てる神宮林という山を歩いたりしています。無理をして元気そうに見せているわけではなく、これが自然体なんです。そこには、医学による治療だけではなく、多分に心の状態が影響していると思います。体調の基本となる血液のめぐりや栄養の吸収などは、私自身がもともと持っている生活習慣や心のあり方と直結していると感じています。心の問題と、医療でつぎはぎしたりして悪いところを取ったりする技術とが融合していかないと、本当の元気は手に入らないのかも知れません。 

 西洋的な二元論の考え方に従えば、病気が“悪”で病気でない状態が“善”。でも、一つのものに表と裏があるように、物事には善の面もあれば、悪の面もあるとわたしは思うんです。(中略)どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろうと」(前掲・文藝春秋2014年5月号)

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インタビューに笑顔で答える樹木さん ©文藝春秋

 樹木さんの語る生活習慣や心の状態が、がんの進行や生存期間に影響を与えるのかどうか、科学的にはまだはっきりしていないことも多いのが実情です。ですが、からだにマイナスになるとは考えにくいでしょう。

家族、医師、世間に「理想の最期」を共有

 緩和ケア医に取材をすると、病院に入院しているときには今にも死にそうな顔をしていた人が、家に帰ったとたん生き生きとした表情を取り戻して、滞っていた家事や大好きな庭いじりなどをし始め、その後、予想以上に長く生きた事例も多いと聞きます。樹木さんも生前から「自宅で死を迎えたい」と公言し、その言葉通り家族に見守られて自宅で亡くなりました。

 もちろん、その人が望むなら病院で最期を迎えるのもいいと思いますが、大事なことは、樹木さんが語るように、病気であってもその人らしく、「自然体」でいることなのかもしれません。こう書くと、ごく当たり前のことのように思われるかもしれませんが、最期まで「自然体」でいるためには、家族や周囲の理解も必要で、簡単ではありません。樹木さんは、家族だけでなく、医師や、世間に対しても、元気なうちから自分の理想の最期をきちんと伝え、それが自然に叶えられる環境、雰囲気を作っていったのではないでしょうか。

 それにしても、病気を「悪」、健康を「善」とする二元論でとらえず、「どの場面にも善と悪があることを受け入れる」という考え方は、ほんとうにすごいと思います。自分が重い病気になったとき、果たしてそのように受け止められるでしょうか。こうした思想から生まれる強靭さがあったからこそ、「全身がん」であることを感じさせない姿を見せ続けることができたのかもしれません。