これまで終息しなかったパンデミックは存在しない。われわれがやるべきことは、歴史がすでに答えを出している。それをもとに、終息までのロードマップを描くべきだ。
磯田氏
第1波がいつまで続くか
新型コロナの流行は、今後どうなるのか。歴史の経験から“終息までのロードマップ”のイメージを考えるのは、無駄ではありません。“新型=未知のウイルス”である以上、完全な予測は不可能ですが、過去の感染症の歴史は、やはり参考になります。
本稿執筆時点(4月27日)で、「緊急事態宣言」と「外出の自粛要請」が一定の効果を発揮しているようで、良い兆候が見られます。
「実効再生産数(1人の感染者が生み出した2次感染者数)」は、東京都内で「2」近くあったのが(3月下旬で「1.7」と推計)、「1」に近づいています。これが「1」を下回れば、終息に向かいます。
感染が危険で、「ワクチン」のない状況下では、「ヒト同士の接触の抑制」以外に方策はありません。ですから、「外出・営業自粛」や「在宅勤務」が極めて重要であることは何度強調してもしすぎることはありません。本号の発売日は連休後ですが、「どうか連休中に外出が増えないように」と祈りながら、この原稿を書いています。
目下の問題は、現在の流行(第1波)がいつまで続くかです。
このタイプの感染症(致死率はともかく感染力が強く一気に大規模に拡がる)のパンデミックは、歴史上、スペイン風邪などもそうですが、一つの波の期間は長くても6カ月で、猛烈な感染ピークの期間は2カ月〜4カ月です。
「とんがり帽子型」と「陣笠型」
今回の新型コロナでは、新規感染者の数をグラフ化した「感染曲線」は、大きく2つのパターンに分かれています。イタリア、米国の「感染曲線」は、「とんがり帽子型」です。急速に感染者が増加しましたが、おそらく収束のスピードも速く、厳しい期間は、およそ2カ月でしょう。それに対し日本は、予断を許さない状況が続いていますが、流行拡大のスピードはかなり抑えられています。
「外出自粛要請の効果」「手洗い、うがいといった日本人の高い衛生意識」あるいは「事前の流行で、ある程度、抵抗力を保有している」「日本株のBCG接種が何らかの形で免疫システムを向上させている」といった可能性が考えられます。いずれにせよ、最も警戒すべき「老人介護施設や病院内での集団感染」も増えてはいるものの、諸外国ほど大規模にはなっていません。
こうした状態が続けば、日本の「感染曲線」は、ゆるやかな「陣笠型」になるでしょう。感染者増加のスピードがゆっくりで、医療崩壊もぎりぎりで抑えられています。ただしその分、収束も長くかかり、具体的には3、4カ月程度かかる、と見た方がよいでしょう。
日本で本格的な感染拡大が始まったのは3月下旬です。5月末に感染が減っても、警戒が必要で、6月一杯ではまだ厳しく、7月までかかってしまう可能性があります。ただ、米国のアレルギー感染症研究所も関わった研究では、「気温22度、湿度50%以上になるとウイルスの活動が収まる」との報告もあり、気温と湿度と紫外線で、夏場は人間側に有利です。
いずれにせよ、夏場に向けて現在の流行はいったん下火になるでしょう。問題は、後に「第2波」がやってくる可能性です。
「新型コロナウイルス」と「新型インフルエンザウイルス」という違いはあるものの、「致死率は低くとも感染力が強く一気に大規模に拡がる」という感染症としての特徴は、100年前の「スペイン風邪(H1N1型、当時の新型インフルエンザ)」のパンデミックと似ています。ですから、今回の新型コロナの“終息までのロードマップ”を考える上でも、歴史上、最も参考になります。
私の恩師でもある速水融(あきら)先生が『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』で詳細に描いていますが、スペイン風邪は、終息まで約2年かかり、その間、3つの流行の波が襲来しました。
「第1波」(「春の先触れ」)は、1918年5月から7月まで。
「第2波」(「前流行」)は、1918年10月から翌年5月頃まで。
「第3波」(「後流行」)は、1919年12月から翌年5月頃まで。
すると、今回も、「また10月から12月あたりに第2波が始まって、来年春先まで続くかもしれない」と警戒する必要があります。「高温・湿潤」より「低温・乾燥」の方が、ウイルスの感染効率が高まるからです。先ほどの目安で言えば、平均気温が「22度以上」あるのは、6月、7月、8月、9月です。
新型ウイルスのパンデミックは、しばしば「第2波」「第3波」が生じます。ウイルスが変異したり、他地域から繰り返し感染が持ち込まれ、人口の大部分が免疫(=「集団免疫」)を得るまで流行するからです。しかも、スペイン風邪のように、変異によって致死率が高まることもあります。
スペイン風邪の「第1波(春の先触れ)」では、最初の流行であるため、広く多勢が感染したと考えられます。ただし、死者はほとんど出ていません。
ところが、1918年10月頃からの「第2波(前流行)」では、ウイルスが変異して致死率が高まり、26万人もの死者が出ました。とくに11月から猛威を振るい、翌年1月に死者が集中しました。
速水先生が集めた当時の新聞は、次のような惨状を伝えています。
当時の新聞が伝える惨状
「悪性感冒益猖獗す 余病を併発した患者の死亡率が急激に増加す 火葬場に於ては棺桶を積置きて」(『上毛新報』10月30日付)
「悪感冒の産む悲惨 下層階級は生活上に大打撃 救済機関設置の急務」(『高知新聞』11月16日付)
今も同じ問題が起きています。
「入院は皆お断り 医者も看護婦も総倒れ 赤十字病院は眼科全滅」(『東京朝日新聞』2月3日付)
医療崩壊は100年前もありました。
「悪性感冒で全村惨死」(『北海タイムス』1月30日付)
これは、人口276人の会津地方吾妻村で200名以上が死亡したことを伝える記事です。
そして1919年12月からの「第3波(後流行)」でも、18.7万人もの死者が出ました。「第2波」よりも感染者は少なかったのですが、致死率が高まり(約5%)、多くの死者が出たのです。この「第3波」について、速水先生はとても重要な指摘をしています。
「当時、毎年12月1日は新兵の入営日だったが、入営後10日以内に、各聯隊、海兵団等においてインフルエンザが流行した。これは、新兵たちが『前流行(第2波)』でインフルエンザ・ウイルスに遭遇せず、いわば無防備のまま、ウイルスの渦巻く兵営に飛び込んでしまったからである。(略)この軍隊における罹患こそ、本格的な『後流行(第3波)』の点火剤となったのである」
著者の速水融氏
こう述べて、12月上旬の軍隊での「初年兵」の大量感染が全国各地で「第3波」の発火点になったことを伝える記事を多数引用しています。これは、「一度、感染すると免疫を獲得し、すぐには二度かからない、重症化しにくい(逆に言えば、免疫がなければ、新型ウイルスには、かなりの割合が感染してしまう)」という歴史の教訓です。
「第3波」では、とくに1月以降に「本格的な殺戮」がやってきました。この時期、ようやく新聞も国民に本格的に社会的隔離を呼びかけるようになります。
「この恐しき死亡率を見よ 流感の恐怖時代襲来す 咳一つ出ても外出するな」(『東京朝日新聞』1月11日付)
「場合に依っては隔離 団体的に廉いマスクを造れ」(『神戸新聞』1月23日付)
今と同じです。
「生命が惜くないか マスクは何処へ棄た 市民は最早流感を忘れマスクを掛ける人は少くなった 文明国中此れ程生命を愛しない国民はない」(『神戸新聞』2月3日付)
流行が弱まると、すぐ油断します。
しかし、これは、流行開始から2年も経ってからのこと。すでに“終息期”です。
『信濃毎日新聞』3月14日付には、「流感は伝染病 内務省の決定」という行政の後手を示す虚しい記事が掲載されています。
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source : 文藝春秋 2020年6月号