TBS糾弾と自主規制 筑紫氏糾弾の事実が歪められ、同和タブーが形成された

部落解放同盟の研究 第5回

西岡 研介 ノンフィクションライター
ニュース 社会 メディア テレビ・ラジオ

10年にもわたる「隣人差別事件」

「チョーリッポが、ヘッヘッヘッ、おかしいツラしてんなぁ、人間じゃねえわな」、「部落民というのはな、下等動物だ。畜生と一緒だ」――。

 自宅2階のベランダから身を乗り出した男は、下卑た笑いを浮かべながら、自らに向けられたスマートフォンのカメラに、醜悪な差別言動を繰り返していた。

「チョーリッポ」とは、被差別部落に関係する賤称「長吏」から派生した差別語だ(ただし「長吏」という言葉には複数の意味がある)。

 長野市内で、2011年から10年にわたって、被差別部落にルーツをもつ60代の女性が、向かいに住む同年代の男から、嫌がらせや差別言動を受け続けた「隣人差別事件」。

 映画監督の満若勇咲(36)が、この事件に遭遇したのは2017年。部落差別をはじめとする「部落問題」をテーマにしたドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」(2022年5月から公開中)の取材中のことだった。

 満若が語る。

「嫌がらせが始まったきっかけは、駐車トラブルでした。些細な揉め事だったにもかかわらず、男が大騒ぎしたことから、女性は警察に通報。それを逆恨みした男は2011年から女性に対し罵声を浴びせるだけでなく、つきまとう、待ち伏せするなどの行為を始めた。ところが14年ごろから、男は女性に差別発言を浴びせるようになったのです」

 満若によると、女性の両親は被差別部落出身だった。しかし、女性本人はこの事件まで、被差別体験がなく、部落差別を他人事と思っていたという。周囲で彼女のルーツを知るのは、同居の夫だけで、男がなぜ、それを知り得たかについては、いまだに分からない。満若が続ける。

「2015年には女性の夫を騙って、〈私は一般人ではありません。私達は特別な人(部)です〉などと書かれた文書が近隣にバラ撒かれる事件が起こりました。(部)とは、部落を指しているのでしょう。

 女性は思い悩んだ末、長野市の人権同和政策課(当時)に相談に行ったのですが、行政は動かなかった。このため女性は自ら文書を回収せざるを得ず、その数は40枚以上にのぼりました。また回収後、長野地方法務局や長野県警にも相談したのですが、司法も何ら救済措置をとろうとしなかったのです」

 そして2015年末、歯止めが効かなくなった男は、暴力事件を引き起こす。路上で女性に殴る蹴るの乱暴を加え、暴行の容疑で逮捕されたのだ。翌年3月には暴行の罪で懲役6カ月・執行猶予3年の有罪判決を受け、女性につきまとうなどの行為をしないとする「特別遵守事項」を設けた保護観察処分が付けられた。

「しかし、その判決から1カ月後、自宅に戻った男は、女性に対する嫌がらせと差別言動を再開した。このため女性は、長野保護観察所に連絡したのですが、執行猶予が取り消されることはありませんでした。

 あからさまな差別事件が起きているにもかかわらず、行政や司法は救済に動かない。この事件が公にならなければ、女性の苦しみは今後も続く。だから僕は自分の映画ではなく、速報性と、影響力のあるテレビで報じたほうがいいと思ったのです」(満若)

 当時、満若は東京都内の映像制作会社に所属し、テレビドキュメンタリーの制作などにも携わっていた。

「そこで、仕事をしたことがある複数のキー局に持ち込みました。

 まずは日テレの報道部に持っていったのですが、『近隣トラブルだったらいいんだけど、そこに部落というワードが絡んでくると難しい』という反応でした。その後、TBSのプロデューサーに事件のあらましを口頭で説明したんです。TBSでは過去に、筑紫哲也さん(2008年に死去)が『NEWS23』で差別発言をして、糾弾を受けた経緯があり、『事件は気になるけど、ウチで部落問題は難しい』と言われました。

 その後、テレビ東京にも持っていったのですが、似たような反応でした」(満若)

 地上波で報じることを断念した満若が、伝を辿ってインターネットメディア「VICE」で報じることができたのは2018年の5月。取材開始から約1年が経っていた。

 この間も、女性に対する嫌がらせは収まらず、女性は男を侮辱罪や名誉毀損で刑事告訴したが、いずれも不起訴処分となっていた。

 そして、やはりネットメディアでは、その影響力が限定的だったのだろう。満若が報じた後も、男の女性に対する執拗な差別言動は、2021年の春ごろまで続いたという。

 いまだに、部落問題をタブー視するテレビ局。いわゆる「同和タブー」が、どのように形成されていったのかがよく分かるケースが、前述したTBS「NEWS23」における、筑紫哲也の差別発言である。

「ニューヨークも屠殺場だね」

 1989年10月2日の初回放送で、筑紫は、コロンビアの麻薬問題を取り上げた際、「いま麻薬の値段を吊り上げたら、ニューヨークの街も多分、屠殺場だね」などと発言し、糾弾を受ける事態となった。

「筑紫さんに対する糾弾は約1年に及び、毎回100人以上が参加し、時に激しく追及されたと聞いています。一方、業界内では『関西の部落解放同盟から、毎週のように呼び出され、数十人に囲まれて、丸一日、糾弾された』とか、『糾弾の参加者からは毎回、(筑紫に対し)人格が破壊されるほどの激しい罵声や怒号が浴びせられた』などという話が、まことしやかに伝えられていました」(TBS関係者)

 だが、事実関係はかなり異なる。当時の事情を知る元「解放出版社」事務局長・小林健治が明かす。

 小林は、1980年から部落解放同盟中央本部で、マスコミ・文化対策部、糾弾闘争本部の一員として、2004年までの4半世紀にわたり、50件以上に及ぶ、メディアにおける差別事件に取り組んできた。

「筑紫さんに対し、糾弾を行ったのは屠場労働者で結成される『全芝浦屠場労組』と『全横浜屠場労組』で、解放同盟ましてや『関西の』解放同盟など一切、かかわっていません。

 糾弾は、89年11月から90年8月まで、事実確認会も含め計9回。『毎週のように』行われたわけではない。また糾弾会の前半段階でこそ、激しい追及がなされたものの、筑紫さんは、自分の発言のどの部分が問題なのか、相手と徹底的に議論する姿勢を貫かれていました」

 最終的に、筑紫は番組(90年9月27日放送)で、自らの発言の差別性を明らかにした上で謝罪したが、その後も屠場組合との交流は続いたという。

 この糾弾については筑紫自身も、インタビューにこう答えている。

「抗議を受けたとき、私には2つの選択肢がありました。とにかく適当に頭を下げて糾弾の風をくぐりぬけてしまうか、それともこちらも納得するまでとことん話し合うか。私は、後者のほうを選んだわけです。最終的には、むしろ先方のほうが私をしつこがっていましたよ」(「週刊現代」1994年3月12日号)

 では、なぜ、テレビ業界では、「筑紫糾弾」の事実が捻じ曲げられて伝えられたのか。

 前出の小林が再び語る。

「その根底には、解放同盟に対する偏見があるんじゃないですか。『糾弾=部落解放同盟』というステレオタイプに囚われているから、労組と同盟の区別すらついていない。そもそも、筑紫さんの発言の本質は部落差別ではなく、屠場労働に対する職業差別。マスコミの人たちは、こんな基本的なことも分かっていなかったし、理解しようともしなかった」

 だが、あながち「偏見」とも言い切れまい。というのも、解放同盟には過去、部落差別を助長するような報道や表現を行ったマスコミに対し、徹底した糾弾をおこなってきた歴史があるからだ。

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筑紫哲也氏

毎日に対する苛烈な糾弾

 その一例が、1983年9月から3カ月に及んだ毎日新聞に対する糾弾である。

 同月1日付朝刊の投書欄に掲載された、教育問題をめぐる読者からの投稿の中に、〈その落伍者は非人ということになりかねない〉という一節があった。

 これに対し、部落解放同盟中央本部は「人間と見做されないという意味で〈非人〉という言葉を使っており、差別表現だ」として抗議した。

 ところが、当時の毎日新聞は、単なる言葉のミスであり、大騒ぎするほどの問題ではないとの対応に終始。同月7日付朝刊に〈1日付投書欄の投書の中に『非人』という表現がありましたが『非人間的』と訂正します〉などと、訂正記事を掲載することで、事を済まそうとしたのだ。

 このような毎日新聞の対応と、60年代から続いていた同紙の「差別記事」に、解放同盟の怒りが爆発し、一大糾弾闘争に発展。同年11月と12月の2回にわたる糾弾会は、いずれもマスコミに公開された。

 解放同盟は1回目の糾弾会で、毎日新聞に対し、過去9年に同紙に掲載された差別記事を突きつけ、2時間にわたって怒号が飛び交う激しいものとなった。2回目の糾弾会には当時の編集局長が出席し、上杉佐一郎・部落解放同盟委員長(当時)に「ご指摘のとおりで、全社的に(部落問題についての)認識が欠けておりました」と全面的に謝罪した。

 ただ、前出の小林は、今のメディア関係者に対し、こんな疑問を呈するのだ。

「たしかに1970年代の糾弾に一部、行き過ぎがあったことは事実ですが、その後は解放同盟も方針を改め、私がマスコミ担当になった80年以降、過激な糾弾は無くなった。83年の毎日新聞に対する糾弾は、中央本部で久々に『糾弾要項』が作られ、組織を挙げての糾弾となった異例のケースでした。

 ならば、逆に伺いたいのですが、今のマスコミ関係者の中に『過去、実際に、解放同盟から激しい糾弾を受けた』という人は果たして、何人いるのですか。実際に糾弾された経験もないのに、『解放同盟はこわい』と思い込む、あるいは、そう吹聴するマスコミ関係者は少なくありません。それこそが部落に対する偏見の裏返しであり、部落問題をタブー視する姿勢に繋がっているのではないでしょうか」

「放送禁止歌」は存在しない

 メディアにおける「同和タブー」の実相を浮き彫りにしたのが、筑紫発言から10年後、フジテレビのドキュメンタリー番組「NONFIX」の「放送禁止歌~唄っているのは誰?規制するのは誰?~」(1999年5月22日放送)だった。

 ノンフィクション作家で、映画監督の森達也による作品で、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」(1965年)などの楽曲が、なぜテレビやラジオで「放送禁止歌」となったのか、その真相を追ったドキュメンタリーだ。

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source : 文藝春秋 2022年9月号

genre : ニュース 社会 メディア テレビ・ラジオ