田辺聖子と母の少女時代
子どもの頃は博多の祖父母と三世代で住んでいた私は、母と祖母が繰り返す戦中戦後の思い出話を聞いて育った。想像力の旺盛な私は、戦後生まれにもかかわらず、まるで自分もそこに、10代の母のすぐ隣に居たかのように感じることがあった。
空襲、買い出し、学童疎開。新型爆弾、ソ連参戦、玉音放送。7月号に掲載された田辺聖子さんの日記を読むと、そのあまりの臨場感に息をのむ。その場にいなければ、絶対に見えなかったこと、感じなかったこと。いくら私が想像しても、追いつかない圧倒的な現実。それがもう既に、プロの作家並みの筆力で綴られている。一息に読んだ。
母の実家は幸い空襲でも焼けず、応召した祖父も無事帰ってきた。田辺聖子さんに比べると随分被害は軽い。だからこそ母と祖母は思い出話として、私の前でしゃべっていたのだろう。だがきっと、話せないようなつらいこと、恐ろしいこともあったはずだ。
母は今年90歳、実家に一人で暮らしている。田辺聖子さんには及ばないが、本の好きな文学少女だったそうで、私は母の書棚の「キュリー夫人伝」を読んだ記憶がある。
母と2人で田辺聖子さんの日記を読み返そう。そして元気でいる間に、もっと色々聞いておかなければと改めて思った。(川久保みどり)
「今さらやめられない」のか
株取引の経験のない私は、恥ずかしながら「損切り」という言葉を初めて知った。7月号、サリー・ジェンキンス氏による『IOC貴族に日本は搾取されている』によって。ジェンキンス氏が、「日本は損切りして東京五輪を中止すべきだ。開催すれば損の上塗りになる」と言っている。
私がこの言葉に目をとめたのには理由がある。同じ7月号『東京五輪と日本人』で池上彰、保阪正康両氏の対談に感銘を受けたのだ。五輪を巡る今の流れは、太平洋戦争の開戦から敗戦に至る経緯とそっくりだという。「日本は勝つ」という願望を前提として開戦し、「今さらやめられない」という思いのまま敗戦へとなだれこんだ日本。科学的根拠など皆無でありながら五輪の1年延期を決め、コロナ禍は収束の気配を見せないままにワクチンにはかない望みを託してやり遂げようとする、あるいは中止の決断をできないでいる今の日本。なるほど同じ構図ではないか。
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source : 文藝春秋 2021年8月号