昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2019/01/19

「安いお酒買って、キャッキャ言っていた」活動休止中

 だが、宇多田は27歳になっていた2010年いっぱいで音楽活動を休止、“人間活動”に専念すると宣言する。それまでは、自分よりはるかに年上の人たちと交流することが多かったが、活動休止中には、逆に年下との交流が増えたという。若い友人にクラブに連れていかれ、《安いお酒、何度か一緒に買って、危ない目に遭ったりして、キャッキャキャッキャいいながら遊んだりとか(笑)》、それまでほとんどできなかった体験もする(※3)。青春をほとんど満喫できなかった彼女にとっては、まさにそれを取り戻すような時期だったといえる。

 もっとも、休止期間中は楽しいできごとばかりではなかった。2013年には母親を亡くす。このとき、葬儀での格好などを口さがない人たちから叩かれたこともあり、「もう人前には出られない」と痛感したという。精神面でも母親を喪ったことは大きかった。《あまりにも母親がわたしにとって音楽そのものだったんで、『音楽とか歌詞とか、ああ無理。歌うのも、ああもうできない!』》とまで思い詰めた(※3)。

ジョージ・ブッシュ大統領が来日した際には、首相官邸でのレセプションに招待されたことも(2002年) ©時事通信社

「あ、わたし親になるんだ。仕事しなきゃ!」

 それが一転して音楽活動を再開しようと思い立ったのは、妊娠に気づいてからだった。《『あ、わたし親になるんだ』って思ったら、急に『あ、仕事しなきゃ!』ってなったんですよ(笑)》と宇多田はのちに語っている(※3)。出産前にできるかぎりアルバムの制作を進めようと、スタッフに連絡をとり、曲をつくり始める。妊娠中に完成させた「真夏の通り雨」は、8年半ぶりとなるアルバム『Fantôme』のリリース(2016年9月)に先立ち、2016年4月に「花束を君に」と同時配信された。彼女にとって、自分からやろうと言い出して作品を手がけたのは、このときが初めてだったらしい。

活動再開後に8年半ぶりにリリースしたアルバム『Fantôme』

 活動再開後、2017年には、デビュー以来書いてきた詞を『宇多田ヒカルの言葉』(エムオン・エンタテインメント)と題して1冊にまとめた。そのまえがきで彼女は、自分の作詞方法についてこんなふうに説明している。

《特に表現したいことや、伝えたいことはなかった。でも、音楽とともに浮かんでくる情景やおぼろげな情感を手繰り寄せてストーリーと登場人物を設定すると、言葉がたくさん出てきた。「誰か」の気持ちを描くことで、自分の意識下にあった気持ちに触れることができた。それが私にとっての作詞だった》

「“いいもの”という感覚は、みんなで共有するクラウドサービス」

 感情や主張が先にあるのではなく、架空の人物を設定し描いていくことで、自分の意識下にある気持ちをすくいあげる。それが宇多田ヒカルにとっての作詞だというのだ。それは彼女が大人になって、自分の経験がより直接的に歌の題材となることが増えても、基本的には変わっていないという。思えば、これこそ宇多田の作品が多くの人から共感を集める理由なのではないか。彼女は別のところで、こんなことも語っている。

《私の中の“いいもの”という感覚は、みんなで共有するクラウドサービスみたいなイメージで、特に言葉はそうなんです。言葉って普遍的な価値があるじゃないですか。常にアップデートされて意味が変わっていく。例えば“いま”という言葉を使ったとします。でもその音自体には何の意味も無くて、それを大勢の人が『こういう意味だよね?』と共通認識を抱くから“いま”が“今”になる。だから私の中だけでは成立しないというか、私も含めた多くの人の中で共有している“いいもの”を追い求めることが“いいもの”のためのもの作りなのかなって》(※4)

 同じインタビューで、宇多田は先述の小袋成彬のプロデュースについて語るなかで、《私は“才能”という言葉を簡単に使うのは好きじゃないし、私自身、それは概念であり架空のものだと思っているから信じていませんけど》とも口にしている(※4)。それは彼女が、個人で生み出せるものの限界を知っているからなのかもしれない。

※1 『文藝春秋』2016年1月号
※2 『週刊文春』2011年8月11・18日号
※3 『ロッキング・オン・ジャパン』2017年9月号
※4 『SWITCH』2018年5月号

この記事の写真(5枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー