5時間7分の間に控室では一局終わっていた
「5時間7分の間、取材陣がいる控室では、別の勝負が注目を集めていました。観戦記を担当したのがミステリー作家の内田康夫さんで、アマチュア五段。その場にいた日本棋院の職員といい勝負なので、控室で碁を打ち始めたんです。この碁は熱戦で、夕方にようやく終わったと思ったら、武宮さんがまだ打っていなくてびっくりしました。
当時、内田さんは最新のビデオセットを持参され、対局室と控室の様子をすべて録画して、観戦記を書いていました。また『玉樟園新井』は、内田さんが籠って原稿を書くぐらい親しくされていた旅館で、あの辺を舞台に書かれたのが『本因坊殺人事件』です。
大竹さんが長考した第4局は大竹勝ち、武宮さんが考え込んだ第5局は武宮勝ち。シリーズは武宮さんの4勝3敗で、本因坊を防衛しています。最終局は千葉の浦安で行われ、終局後に武宮さんは銀座に行かれ、大竹さんはヨーロッパ選手権に向けて日本を出発しました。タフだなと思った記憶があります」(山村さん)
羽生善治が語る「長く考えても良い手が指せない理由」
長考中、棋士は何を考えているか。羽生善治九段は『羽生善治 闘う頭脳』(文春文庫)において、対局はロジカルに考える「読み」と局面の急所で直感的に「大局観」を駆使する、と述べている。「読み」は頭の回転が速い若手、「大局観」は長年の経験の積み重ねで培われるため、中年や熟年の武器になる。羽生は10代で60代半ばの大山康晴十五世名人と対戦し、肌で感じたようだ。
<考えているようには見えなかったというのは大山名人に対して失礼な話ではありますが、本当に考えているようには見えなかったのです。1枚の絵や写真を眺めるかのように、それを見た時にどう思ったとか、その時にこう指した方が自然なのではないかというふうにただ眺めているだけという感じだったのです。大山先生は『大局観』に大変優れていて、たくさん読まなくても正しい選択ができるという、そういうアプローチをしていたということになります>(同書P89)
精鋭が延々と考えるよりも、大棋士が一瞥して指した手のほうが正解かもしれないのだから、将棋は難しい。また、時間をかければかけるほど、思考が積み重なって先の先が見通せるように思えるが、天才棋士といえども、そう単純な話ではない。
<長い時は4時間近く考えたことがあります。しかし、時間を費やせば良い手が指せるかというと、必ずしもそういうわけではありません。私の経験でもありますが、将棋の世界には『長考に好手なし』という格言もあります。どうして長く考えても良い手が指せないのかと言うと、長考している時というのは、考えていると言うよりも迷って悩んでいるケースが多いからなのです。(中略)ですから、私自身にとっては、長考に見切りをつけて決断し、選択ができるかどうかが、『調子』のバロメーターと考えています>(同書P77)
ちなみに、相手が4時間弱考えたときは、最初の1時間は読みを入れたものの、<『今日、おやつは何頼もうかな?』とか(笑)。『四時間あったら日本中どこでも行けるなあ』とか、そういう妄想みたいなことを考えてました>(同書P372)と羽生。静寂のなか、対局者が長時間向き合っていても、実は考えていることはバラバラ。思考は盤上どころか盤外まで広がっているのかもしれない。