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《でも俺が会社の経営に向いているタイプというのも、自分の中ではもどかしいところもあるんですよ。自分はタレントをやってるのに見なくてもいいところまで見えてしまうこともあるわけ。テレビを作っている時でも何でも、そんなとこに気を使わなくていいというところに気を使って、その部分で疲れたり、注意力が散漫になって自分がちゃんとできなかったりするから。だから憲武を見ていると、タレントとしての資質が上だなと思う。本当に能力の高いヤツでズバッと突き抜けている。俺はそこまでいかない。だからあと五年で辞めたいと思うんだろうね》(※ 4)

「あと五年で辞めたい」というのは、当時(2000年)40歳目前だった石橋が、45歳でテレビの仕事をやめ、それから5年間シェフの修業をして、50歳で店を開こうと計画を立てていたことを指す。2000年頃といえば、テレビ番組の裏方を集めて結成した野猿で、とんねるずが再びブレイクを果たしていた時期だ。そんな時期にあって、石橋が本気で引退を考えていたという事実に驚かされる。そこまで考えていたのも、上記の発言にあるとおり「見なくてもいいところまで見えてしまう」性分ゆえなのだろう。

1998年に女優・鈴木保奈美と再婚 ©文藝春秋

なぜとんねるずは何度も「生き返る」のか

 野猿がヒットを飛ばしたころ、コラムニストで消しゴム版画家のナンシー関は、とんねるずは『みなさんのおかげです』が終了した時点(1997年)で「死んだ」と思っていたのが、ここへ来て再び全盛を迎え「蘇生」したと書いた。そしてその理由を次のように分析してみせた。

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《私が、とんねるずは死んだと思ったのは、(中略)とんねるず自身が老いたから、というのとは少々違う。とんねるずがそれまで巻き込んできた「客」の層が老いてしまった、と言ったほうがいいかもしれない。(中略)客が中心から降りてしまったということは、取り囲んでいたオーディエンスの姿がなくなってしまったということであり、そうするとただただカラ回りしているようにしか見えなくなるのである。それが死因だ。/しかし、とんねるずは何も変えずに蘇生した。再び、人垣ができてきている。一度、オーディエンスの人垣を失ったタレントは、全く違う人垣をつくらなければ蘇生できないはずだ。(中略)が、蘇生とんねるずの新しい客というのが、これまた前と同じなのだ。(中略)まだ通用する、いや右肩上がりである。不思議だ》(※5)