上皇陛下のお気持ちが退位を認める特例法につながった事実
「天皇家が政治上の絶対的権威として再び登場するのは、明治期からです。明治維新によって武家政治から天皇親政へ転換が図られ、大日本帝国憲法の第1条で『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と規定されたことで、政治の表舞台に天皇が復帰したわけです。太平洋戦争が終わり、平和憲法が制定されたことで、天皇は国家元首から象徴へと変わりましたが、海外では国際儀礼上、天皇は事実上の国家元首として処遇されます。
江戸期の天皇とは権威という点で大きく異なるのです。日本国憲法第4条は『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない』としており、政治的な力は持ち合わせていない建前になっていますが、上皇陛下のお気持ちが退位を認める皇室典範の特例法制定につながった事実は消せません。特例法制定の議論が行われていた際、上皇の存在を認めれば二重権威の問題が出てくるのではないかという疑義が呈されたのは、こうした理由からなのです」
上皇后さまは皇后時代にも、皇室関連の雑誌報道によるストレスで体調を崩されたことが何度かあった。1993年10月、雑誌の批判記事をめぐる心労から倒れ、一時的に声を失われた。2007年3月にも、宮内庁が上皇后さまに腸からの出血などの症状が確認されたと発表している。精神的なお疲れが原因とみられ、口内炎や鼻血に加え、腸壁から数回の出血があったといい、この際も宮内庁関係者は「週刊誌などで相次ぐ皇室記事も影響しているようだ」と指摘している。
「今回も同様です。上皇后さまは新聞などにもよく目を通されるので、週刊誌の広告の見出しで心ない皇室批判の記事を見る度に精神的なストレスをおためになるようです」(同前)
「ご公務からは完全に引退されたわけですから」
ではなぜ、二重権威という批判が出てきてしまうのだろうか。別の宮内庁関係者が語る。
「ボタンの掛け違いが背景にはあるのだと思います。確かに上皇陛下は30年以上にわたり天皇を務めてこられました。今上天皇のお父上でもあります。しかし、あくまでも日本国及び日本国民統合の象徴は天皇陛下です。皇室制度は天皇陛下を頂点とする制度なのです。しかし、秋篠宮さまは事実上の皇太子に当たる皇嗣になられたのに、お手元金は皇太子に充当される内廷費ではなく、皇族費のままとなりました。一方で上皇・上皇后両陛下は内廷費のままです。
香淳皇后も内廷費でしたが、昭和天皇は崩御されていたので事情が全く異なります。上皇陛下を無下に扱うべきだと言っているわけでは、決してありません。ただ、宮内庁のホームページの『ご略歴』の欄が上から『天皇皇后両陛下』『上皇上皇后両陛下』『秋篠宮家』『常陸宮家』などと並んでいるように、はっきりと区別を行うべきだったのです。ご公務からは完全に引退されたわけですから、上皇職にあんなに人員が必要なのかという意見も庁内の一部にはありました。天皇・皇后時代からお仕えしている職員や元職員たちが特別視していることが、結果的に二重権威が存在するように見せてしまっているのではないでしょうか」