「最後の大企業創業一世代 辛格浩ロッテ名誉会長他界」(朝鮮日報)、「83円持って日本に渡った文学青年、カバンひとつ持って帰国し韓国ロッテ設立」(中央日報)、「83円でスタート、ロッテの神話を描いた流通の巨人、辛格浩名誉会長他界」(東亜日報)、「ロッテ創業辛格浩名誉会長他界」(京郷新聞)、「辛格浩名誉会長他界、創業一世代没す」(ハンギョレ新聞)――。

 1月19日、ロッテグループの創業者、重光武雄名誉会長が他界した。享年98。

若かりし頃の故・重光武雄氏 ©文藝春秋

「巨人」「辛格浩の人生にはグレー地帯が」

 韓国紙はいずれも一面で報じ、その生涯をつぶさに追ったところも多かった。ほとんどが日韓両国で起業し成功を収めた経済界の“巨人”として讃えたが、ロッテがグローバル企業となった2000年代頃から「規模に合ったシステムを備えておらず、辛名誉会長の一人経営体制にこだわり、さまざまな問題が明るみに出た」(韓国日報)と、晩年に報じられたコンプライアンス問題を指摘するところもあった。

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 また、昨夏、日本が対韓輸出規制を強化した際、「ロッテは日韓どちらの企業なのか」という論争が起きた例にも表れたように、常に日韓の狭間に置かれた重光名誉会長の立場を慮る記事もあった。例えば、中央日報はこう書いている。

「韓国と日本の双方でロッテという帝国を作った。激しい慶尚道なまりと母国語並みのざっくばらんな日本語を交ぜて使った。両国で歓呼と疑いを同時に受けた。韓国人が日本でカネだけ稼いでいくという嘲弄と誹謗を聞いたりした。辛格浩の99年の人生には光と影、そして、はっきりしないグレーゾーンが共存する」(中央日報日本語版より)

故・重光武雄氏の死去を報じた韓国紙(著者提供)

本名の「辛(シン)」にかけて「神」と呼ばれることも

 重光武雄名誉会長の本名は「辛格浩」。生前、日本に帰化したのではないかと取り沙汰されたこともあったが、韓国籍だ。「辛」は「シン」と発音することから、韓国メディアでは同じ発音の「神(シン)格浩」と表されたこともあった。

 日本名の苗字は二番目の日本人の夫人の姓であり、名前は、日本の植民地時代の創氏改名の時の名前だと伝えられている。ちなみに重光夫人は第二次世界大戦後、降伏文書に署名した重光葵外務大臣の親戚だといわれ、日本にいた頃は多くの恩恵を受けたと報じられたこともあったが、「まったく無関係」(月刊朝鮮2001年1月号)と重光名誉会長は一蹴している。

 重光名誉会長は1921年、韓国南東部、釜山市の北にある蔚山市の農家に10人兄弟(男5人女5人)の長男として生まれた。73世帯の小さな村の中では比較的裕福な家だったという。