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もうひとつ父に関してよく覚えていること

 もうひとつ父に関してよく覚えていること(ちなみに村上千秋[ちあき]というのが父の名前だ)。

 それは毎朝、朝食をとる前に、彼が仏壇に向かって長い時間、目を閉じて熱心にお経を唱えていたことだ。いや、仏壇というのではない。菩薩を収めたガラスの小さなケースだった。美しく細かく彫られた小さな菩薩が、円筒形のガラス・ケースの中央に収まっていた。それがその後どうなったのか、僕は知らない。父親が亡くなったあと、その菩薩を目にしたことはない。いつの間にかどこかに消えてしまったようだ。そして今となっては、記憶の中に残っているだけだ。父はどうしてちゃんとした普通の仏壇にではなく、そんな小さなガラス・ケースに向かって毎朝お経を唱えていたのだろう? それも僕にはわからないことのひとつだ。

 しかしいずれにせよ、それは父親にとって一日の始まりを意味する大事な習慣になっていた。僕の知る限り一日たりともその「おつとめ」(と父は呼んでいた)を怠(おこた)らなかったし、誰にもその日々の行いを妨げることはできなかった。そして父の背中には、簡単には声をかけがたいような厳しい雰囲気が漂っていた。そこには「日々の習慣」というような簡単な言葉では片付けられない、普通ではない――と僕には思えた――強い集中があった。

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©高妍(Gao Yan)

 子供の頃、一度彼に尋ねたことがあった。誰のためにお経を唱えているのかと。彼は言った。前の戦争で死んでいった人たちのためだと。そこで亡くなった仲間の兵隊や、当時は敵であった中国の人たちのためだと。父はそれ以上の説明をしなかったし、僕はそれ以上の質問をしなかった。おそらくそこには、僕にそれ以上の質問を続けさせない何かが—場の空気のようなものが—あったのだと思う。しかし父自身がそれをはばんでいたわけではなかったという気がする。もし尋ねていれば、何かを説明してくれたのではあるまいか。でも僕は尋ねなかった。おそらくむしろ僕自身の中に、そうすることを阻む何かがあったのだろう。

猫を棄てる 父親について語るとき

村上 春樹

文藝春秋

2020年4月23日 発売