わずか6.4kmという短い路線、そして小さな港町の電車。とうぜん、銚子電鉄の経営は苦しい。それも昨日今日はじまった苦しさではなくて、開業以来まるで業のように背負い続けてきた苦しさである。そして銚子電鉄の歴史は、その経営の苦しさを乗り越えてきた歴史でもある。
“再建”、空襲被害、そして廃止危機……
現在の銚子電鉄の路線開業は1923年。ただ、その少し前にほぼ同じ場所に銚子遊覧鉄道という鉄道があった。1913年の開業直後から赤字が続き、わずか4年で廃止されている。その銚子遊覧鉄道の出資者たちが諦めてたまるかとばかりに“再建”したのが今の銚子電鉄なのだ。戦時中に空襲被害も受けているが、昭和20年代は短い黄金時代。モータリゼーションの波が押し寄せる少し前のことである。
クルマが銚子の町にも普及して路線バスも整備されると、
電車の赤字を補う“空前の大ヒット”とは?
この時期を過ぎるといよいよ経営は本格的に厳しさを増していく。わずか6.4kmの電車だけではとうてい立ち行かぬ。そこで1976年には『およげ!たいやきくん』にあやかってたい焼きの販売を開始し、関連事業(というか食品事業)で収益を得て電車の赤字を補うスタイルを開拓していった。そして平成に入ってしばらくたった頃、空前の大ヒットを生み出す。名物・ぬれ煎餅である――。
「ぬれ煎餅は1995年から扱っています。第1次ブームと我々は呼んでいるんですが、1996~1998年頃にはメディアにもよく取り上げられてかなり売れました。年間で2億円ですから、大したものですよね」(竹本社長)