1ページ目から読む
3/4ページ目

 三好野では5月6日以降、漉し餡の大福餅を紅白3個ずつ計6個入りの袋を1040袋製造した。運動会の分以外は、運動会と同じ10日の日曜日に店で販売。それとは別に潰し餡の豆大福を6日から製造・販売していた。兵士たちはそれも食べていた。原料や道具など、大福の製造過程で疑われるのは次のようなものだった。小豆、砂糖、塩、浮粉(打ち粉)、餡、餅、餡箱、粉箱、延べ棒……。計約200点以上が集められ、検査された。その結果、菌が検出されたのはサツマイモの粉である浮粉(デンプン)だけ。それも作業用の粉箱と大福餅にまぶされていたものからだった。では、粉はいつ作業場で汚染されたのか――。

©iStock.com

 三好野の食品を店で食べたり、購入して食べたりした人からの聞き取りの結果、5月6日から7日午前まで発症者はほとんどおらず、7日午後になって急激に出始めたことが判明。浜松一中で大福餅が配られた5月10日午後3時の時点で30人以上が発症していたことが分かった。「こうした情報がきちんと伝わっていれば、46人もの死者まで出す集団食中毒は防げた可能性が高い」と「戦場の疫学」は述べている。浜松一中と市役所にそれぞれ救護本部ができ、相互の連絡が悪くて情報が共有できなかったが、第三師団軍医部の救護班が到着してから統一されたとの証言もある、いつの時代も、非常時にこそ正確な情報の伝達が不可欠だが、民間だけでは限界があるということか。

 最後はどのように汚染されたかだが、メンバーの1人の報告にはこうある。「三好野商店において入手せる斃鼠(死んだネズミ)=死後数日を経過=1匹より、天井裏において採集せる鼠糞(ネズミのフン)よりゲルトネル氏陽性」「浜松市内において捕獲せるネズミ102頭中ゲルトネル氏菌陽性なりしは8頭……」。結局、他の動物が感染源になったとは認められず、複数のメンバーがネズミのフンを経由してという点で意見が一致した。メンバーは「容疑者関係」についても、従業員の身辺からはじまって思想や交遊関係、不審人物などを調査。その結果、不審な点は見つからなかった。

ADVERTISEMENT

「七三一部隊」を生む石井機関が、事件から学んだこと

「戦場の疫学」は浜松の事件を取り上げた章の最後に、軍医学校防疫研究室の調査結果と合わせたまとめを書いている。

(1)    三好野の食品がゲルトネル菌に汚染されたのは多分ネズミのフンが原因で、原因食品は3種類(漉し餡の紅白と潰し餡の豆大福)の大福餅だった

(2)    それを食べた中学生を中心とするグループと、航空連隊の兵隊を中心とするグループが食中毒を発症した

(3)    中学生らのグループでは死者が46人も出たのに、兵隊のグループでは死者ゼロ。また5月9日までに大福餅を購入した人には死者はいないが、10日になると死者が多発している

(4)    製造過程検証のため、実際に三好野で大福餅を製造したところ、出来上がった餅もゲルトネル菌に汚染されていた。しかし、食べた職人は発症しなかった

(5)    それは、食べた大福餅の量だけでなく、大福餅を製造してからの経過時間、すなわち菌の増殖期間と重要な関係があると考えられる

(6)    調査の結果、赤大福より白大福の方がより多くのゲルトネル菌が含まれていたことが判明。さらに店で販売した潰し餡の豆大福が最も汚染されていたことが分かった

(7)    浮粉であるデンプンを調べたところ、製造工場内の温度と湿度で、ゲルトネル菌が6時間に約500倍、12時間で1万倍以上に増殖することが分かった

(8)    中学生に死者が多かったのは、運動会で疲労が激しかったためと考えることも不自然ではない

(9)    研究グループの結論は「人為的な工作は必須の条件ではない。自然界の意識しない感染によっても本件のような多数の罹患をきたすことがある」だった