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後を絶たない反発・批判・脅迫

『反日種族主義』には韓国の多くの人たちが関心を寄せました。編著者である李栄薫さんはどんな思いで本を書いたのでしょうか。

池上 今の時期、つまり日韓関係が悪くなっている時にこういう本を出すことに対して、韓国国内での反発や批判は随分あるんでしょうね。

 相当(批判が)強いです。今後どういうことが起きるかは予測ができないほど深刻な反発が今もずっと続いています。

 実際、電話やメールによる脅迫は後を絶たず、著者の中には唾(つば)を吐きかけられた人もいるそうです。

池上 でも、それだけの反発を予想して、それでもこの本を出されたわけですね。そこにはどんな思いがあるのでしょうか。

 韓国社会に今、深く潜んでいる野蛮性と原始性を克服しなくては、韓国社会が先進化できないと思い、私なりの使命感でこの本を出版することにしました。

 

政権によって学校を退学させられた

三田 これまでの歴史にメスを入れることで、研究者として大変な目に遭われたことはありましたか?

 実は1991年頃から私は親日派だといわれてきました。朝鮮総督府(*)は1910年から1918年にかけて朝鮮のすべての土地、農地や林などの面積や所有者に関する調査を実施しました。韓国の教科書には、当時全国の土地の40パーセントが朝鮮総督府の所有地として収奪されたと記されているけれども、それは事実ではない、という論文を書いたからです。

*朝鮮総督府=1910年の韓国併合に伴い、日本が朝鮮半島統治のため京城(けいじょう)府(現ソウル)に設置した機関。初代朝鮮総督には、陸軍大将で後に内閣総理大臣を務める寺内正毅(てらうちまさたけ)が就任した。歴代朝鮮総督のうち3人が後に総理大臣となり、最後の朝鮮総督阿部信行(あべのぶゆき)は総理大臣経験者だった。

 その論文を書いた当初は、学会誌にも載せてもらえませんでした。編集委員や審査員の間で議論が起こり、最終的には載せてもらえたのですが、その過程で大きな問題が起きました。

 その後20年間、教科書は変わりませんでした。『反日種族主義』でもふれたように、教科書からそうした記述が消えたのは2010年頃からです。私の学説を理解する若い歴史学者たちが教科書を書き始めてから、土地の40パーセント収奪説は少しずつなくなっていきました。しかし、他の分野における収奪説は今も残っています。なかなか変わりません。

 その間も、私は親日派の烙印(らくいん)を押され、数多くの事件が起きました。ソウル大学で勤務していた時、私を親日派だと攻撃したポスターが壁に貼られたことが5、6回ほどあります。しかし私は学生運動の出身です。1971年には朴正熙(パクチョンヒ)政権によって学校を退学させられました。その事実を学生たちが知ってからは、私に対する批判がやみました。

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