「桜」前夜祭で、3度目はもう消えたのか
3度目の就任。プロ野球の監督みたいだが、いや冗談ではなく安倍周りでは辞任直後から3度目待望論があるのだ。
櫻井よしこは安倍首相辞任表明直後のコラムで「十分な休養の後、首相が内外の政治において重きをなす日が必ずまた来ると、私は考えている」(産経新聞9月7日)と書いた。これは願望にもみえる。
最近の活発な動きを見ると既に十分な休養はとれたのか。
「週刊プレイボーイ」(12月7日号)は「ちょこまか動く前首相に菅官邸が大困惑中『安倍さんがやたら元気でウザすぎる!!』」。
日刊スポーツに載ったアーチェリーの弓先は「3度目」を見据えていたのか。そこにうっかり見える標的は菅義偉なのか。
すると、今回の「安倍前首相秘書ら聴取 『桜』前夜祭 会費補填巡り 東京地検」(読売11月23日)である。
アーチェリーの弓先は安倍自身に向いていた? 3度目はもう消えたのか。政治の流れがまたザワザワしてきた。よくも悪くも安倍晋三にまた注目が集まりだしたのである。
ということでこの機会に「安倍晋三とは何か」をあらためて振り返りたいと思う。
私の好きな新聞読み比べだけでなく、書籍や週刊誌などからも再度確認したいポイントを提示したい。そして7年8カ月を超えた第二次政権の手法もまとめてみたい。私は「感動政治」がキーワードだと考えるがそれは後半に述べる。
政治家になる前の安倍晋三とは
まず政治家になる前の安倍晋三とはどんな人物だったのか。紹介したいのは『安倍三代』(青木理・朝日新聞出版2017年)。
青木理は安倍晋三の父・安倍晋太郎、祖父・安倍寛の人物像にも迫った。この両者を取材するほど垣間見えてくるエピソードや言動に「すべては賛同はしないまでも、惹きつけられた。俗っぽい言い方をするならば、ワクワクするような楽しさを覚えた」と青木は書くが、
《しかし、晋三は違った。成長過程や青年期を知る人々にいくら取材を積み重ねても、特筆すべきエピソードらしいエピソードが出てこない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。善でもなければ、強烈な悪でもない。取材をしていて魅力も感じなければ、ワクワクもしない。取材するほどに募るのは逆に落胆ばかり。正直言って、「ノンフィクションの華」とされる人物評伝にふさわしい取材対象、題材ではまったくなかった。》
「取材者」がため息をついている貴重な部分である。凡庸だがみんなに好かれる“いい子”などの安倍に対する証言は本書の各所にみられる。裏を返せばガツガツしないお坊ちゃまらしさを感じるのだが、安倍晋三の売りと言えば保守政治家としてのガチガチの言動だ。では、これはいつから芽吹いたのであろう。