相手に親近感を持たせる特有の才能が……
確かに、今回の人事騒動は、黒川という稀有な官僚が存在したがゆえに起きた問題といえなくもない。いくら人事権があるといっても、その組織や人を知らないと手は突っ込みにくいものだ。知らなければ、関心ももたない。
黒川は10年近く政界ロビーイングを担当し官邸有力幹部らと気心が知れる関係になっていた。しかも、相手に親近感を持たせる特有の才能が、話のできる黒川を検察のトップに据えた方が何かとやりやすい、との官邸側の誘惑を招いた側面は否定できない。
しかし、検察は、政治腐敗を摘発する準司法機関だ。その人事に手を突っ込めば、政権は「自らの腐敗疑惑を潰すために検察人事に介入した」と国民から批判を受け、また、法務・検察側も「政治に忖度して捜査を歪めるのではないか」との不信を招くのは目に見えていた。政権、検察、どちらにとっても、ハッピーではない。それがわからないほど、政権を担う政治家はお人好しではなかろう。
やはり、安倍一強政権の驕りがあったのではないか。
官邸に「忖度」する空気が蔓延
2012年暮れに発足した第2次安倍政権は、政治主導を強調し、内閣法制局長官、日銀総裁をはじめ、厚労省や海上保安庁で強引ともいえる人事を次々に行ってきたことは前にも述べた。
その強引な官僚グリップの結果、官僚の間には官邸に「忖度」する空気が蔓延した。萎縮と保身。官僚に国家・社会に貢献する公僕としての矜持は薄れ、政権に奉仕する下僕になった。
17年から18年にかけての「モリカケ」(森友・加計学園)問題でこの政治による官僚統制強化の弊害が顕在化した。しかし、政権はそれを反省するどころか、さらに調子に乗り、ついに検事総長人事にまで介入した。
それを許したのは、野党のふがいなさであり、マスコミの「油断」だった。
官邸はいったん人事の方針を決めると、当の黒川や辻ら歴代の法務事務次官が「黒川検事総長では、検察現場が納得しない」と諫め、検事総長には林がふさわしい、と繰り返し説得しても決して応じなかった。結局、官邸は、黒川が退場するまで黒川にこだわり続け、憲政史上最長の7年8カ月首相に在任した安倍は、黒川の勤務延長の閣議決定から7カ月後の8月末、辞任表明に追い込まれた。