「大病院の専門医」と「在宅医」の違いを知るのが、主人公の転機に
大貫の娘とのやりとりからモヤモヤした気分を抱えた河田だったが、在宅医の先輩・長野に相談することで、転機が訪れる。長野からは、河田の判断にいくつものミスがあったことを指摘される。「患者が苦しんで亡くなったのは自分のせいなのか」と、ひとたび深い悔恨の念に苛まれ、河田は信念を新たにする。長野の往診現場に立会い「大病院の専門医」と「在宅医」の違いを知り、「在宅医のあるべき姿」を模索するようになっていく。ちなみに、この先輩医師・長野は、柄本佑の義父にあたる奥田瑛二が演じている。
劇中、河田が在宅医のあるべき姿を学ぶプロセスで、わたしたちの常識がひっくり返されるような知識の数々が示される。例えば「高齢で終末期の患者が何らかの発作を起こしたとき、あわてて救急車を呼ぶとどうなるのか?」そして「薬や点滴の使い過ぎが、どんな結果をもたらすのか?」といったことなどだ。
いざとなれば、医療について素人の私たちにも、医師や病院から「家族が決めてください」「本人の希望で選んでください」などと、判断を迫られる場面が訪れる。ここで取り乱し、流されるように決断すれば、患者の平穏な死は叶わなくなってしまう。
「とにかく生きていることが最優先」の延命治療に慣れているわれわれが、なぜ「平穏死」を逃してしまうのか。「何を選べば、どのような結果になるのか」が、原作者である長尾医師の長年の経験を元にして劇中で明確に語られる。
「平穏死5つの要件」とは
この映画には、主要ながん患者が2人登場する。1人目を「痛い死に方」のケース、2人目を「痛くない死に方」のケースとして見ることができる。この2つのケースを比べると、担当医師の対応と家族の判断によって「同じ末期がん患者でこうも違うのか」とびっくりするくらい、死に方に大きな差が出てくるのだ。
しかし、そもそも「平穏な死」とはどんな死に方なのだろうか。
多くの人は、まず「体の痛みに苦しまない」ことをイメージするだろう。もちろんそれも大事なことだが、ほかにも「理想的な環境で過ごせているか」「心に不安はないか」なども大切だろう。
原作者は「平穏死」を以下のように定義している。
言われてみればなんとなく腑に落ちるものの、この5つの要件を満たす死に方というのは、具体的にはどういう「死」なのだろうか。それをわかりやすく見せてくれるのが、劇中の2人目の末期がん患者だ。