「そんなんじゃないよ、楽しいだけ」
私が小学校6年生だった1995年のMステ年末特番「スーパーライブ95」で、トップバッターを飾った安室奈美恵は、その頃まだバックダンサーとしてスーパーモンキーズ(MAX)を率いてTKプロデュースの最初の曲「Body Feels EXIT」と、最新曲「Chase The Chance」のスペシャルメドレーを披露した。すでに「TRY ME」や「太陽のSEASON」をダンスが完コピできるほど聞いていた私は、彼女たちが着ていたストライプのパンツスーツと、ややブーツカットの裾に合わせたピンヒールの厚底ブーツを目が痛くなるほど凝視して動けなくなった。
その瞬間、私は何を優先して生きるかを完全に決意した。そして実際、その後何年も「それ」を優先し、「それ」を選び取るためにあらゆるものを犠牲にしたのである。重視すべきは、自分を幸せにしてくれる男でもその男のための媚びでもない。自分の将来を豊かなものにしてくれる文化でもない。未来のための計画性でも貯蓄でもないし、自分がどこに生まれて誰に育てられたかといったことでも勿論ない。
今、輝くこと、それ以上に優先すべきことなどなくなった。「今」に比べれば、「他」は全てどうでもいいことだと思った。それぐらいに彼女のステージは神々しく、また、今、誰よりもカッコよく輝いていた。そして彼女はそのメッセージすら拒絶して、「そんなんじゃないよ、楽しいだけ」と声高に宣言した。私はその10センチ以上ある厚底ヒールの上に死ぬほど行きたくて、そこからの景色を見たいと本気で思ったのだった。
そう思ったのは当然私だけではなかったようで、新学期は年末の各歌番組の安室奈美恵の衣装で沸き、私が爪を折って保存していたMステのビデオテープを、うちに遊びに来る友達は全員何回も見たがった。中学の近くにあった大船ルミネのソニープラザでは、彼女の口紅の色を当時安かったメイベリンやクレージュの棚で競って探し回り、マツキヨの整髪剤のコーナーでどうやったらあんなに長いシャギーヘアをツヤツヤに保てるのか議論した。眉毛の形は何百回も失敗しながら研究し、コンビニで安いマニキュアを買って、厚底は無理でもちょっとだけヒールのあるサンダルや月に5000円のお小遣いで買えるイミテーションのアクセサリーを探した。安室奈美恵とは6歳の年の差があって、私と彼女の差はその6年という時間差によるものだろうと、だから6年で埋められると、本気で思っていた。そのためには校則の厳しい学校から渋谷の近くの自由な学校に移ることなど容易かった。
しかし実は私が高校に入るまさにその時、産休から復帰後2枚目のシングル発売日に、安室奈美恵の母親が殺されたらしい、というニュースが流れる。沖縄県の聞いたことのない街で起きたその事件は、15歳の私にはほとんど異国の地で起きた大事件のように思えたが、その時はそれが自分にどういう意味を持ったのかを考えるすべもなく、ひたすら新曲リリースに合わせてフジテレビの「HEY!HEY!HEY!」に登場した安室奈美恵の姿に見入ることしかできなかった。
無事にルーズソックスを堂々と履いて茶髪の髪を結ばなくてもいい高校に入学し、年次を駆け上がるにつれ、15センチの厚底ヒールで歩くのにも慣れ、ストライプのパンツスーツや黒ニットとバーバリーのスカートはもうだいぶ古くなって、もう少し自分に似合うギャル服がわかって来た。そのうちに、彼女の思想を受け継ぎつつ、もっと身近な目標はいくらでも見つけられるようになる。109の店員さん、Popteenの表紙の読モ、パラパラサークルの代表、ブルセラショップにたむろする3年生。
MACの黒人用ファンデが必要なほど日焼けした先輩や、援助交際の斡旋で何十万も儲けていたルイ・ヴィトン狂いの先輩は、もはや安室奈美恵からは独立した別の何かではあったが、私たちがそれを戸惑うことなく追いかけられたのは、根底にあるのが95年の年末に憧れたステージと同じだったからだ。厚底の上から世界を見下ろした私たちは、かつて95年のステージの上の彼女たちがそうであったように、男性のために存在はしていなかった。全ては女子のため、自分の楽しみと輝きのため、だからこその15センチヒールだった。彼女たちや私たちは男性にとっても十分魅力的であったのだが、そんなことも、結構どうでもいいことだった。