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「うちらを汚染物扱いしたじゃないか」という感情はそう簡単に癒えない

「震災の頃のことを話す感じではないですね。ただ、誰かが『あのときは……』と喋り始めると、みんな話をします。それは30~40代ですね。それより若い人は、震災当時、子どもがいないので、話題になりません。原発事故は、子どもの有無で影響の大きさが違いますからね。しかも、当時20代となると、白河市内では、震災経験者は減ります。福島県全体でもそうした傾向でしょう。

『あのときの福島県』『あのときの白河市』という共有体験を話す機会が少ない。それに、子どもや子どもがいる保護者は、ケアの対象になったり、目が向いたりしました。子どもがいない若者層は、事実上『自助』でしたので、支援から抜け落ちていました。福祉の制度の狭間にあります」

 昨年からのコロナ禍の影響で、全国的にマスクをしたり、人との交流が減っている。思い起こせば、原発事故が起きたときも、被災者を避けるかのようにして「福島差別」を受け、その傷がいまでも残っている。

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警戒区域に入る車などをチェックする警察官(2011年6月12日撮影、福島県浪江町)

「関東に避難をした子がいじめを受けたことが報道されましたが、そういう話は子どもの間で話題になりました。あの当時の影響はどこかにあると思います。『あのときは、うちらを汚染物扱いしたじゃないか』というような感情です。こういうことはそう簡単に癒えるものではないでしょう。

 そのため、コロナ禍では、『東京の人は来ないでください』というネガティブな反応がどこかにあるのではないでしょうか。震災当初は、“福島ナンバー”や“いわきナンバー”は嫌がらせをされた、という話は聞きました。ただ、白河市は県境です。車で言えば、“県外ナンバー”に対して嫌がらせをすることはないです」

原発推進看板(2011年4月18日撮影、福島県双葉町)

2018年からは、空き家を利用したシェルターを整備

「たべまな」を始めて6年が経った。これまで平均の利用者は二十数人だったが、現在はコロナ禍のため、十数人が平均だ。2018年からは、空き家を利用したシェルターを整備している。

「子どもたちは、そこにいたいだけのこともあります。その場にいるだけで、事情も聞かれない、意識されないことは大切です。しかし、カフェだと難しい。高校生が集まるような場所があっても、コロナ禍では、ネットカフェなどが軒並み閉店しています。うちの利用は小中学生がメインですが、特に受験生がヘビーユーザーです。そのためもあり、感染させたら大変だ、と言って、利用を控える子どもたちもいます。新型コロナ感染に対して気を遣っています。親御さんたちの懸念もあります」