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 企業側も高額の協賛金を出すのだから、その業界の中で唯一「五輪に協賛しています」と言えることがライバル企業に対して非常に高い価値を生む。そうしたIOCと協賛企業の思惑が一致して、リオ大会までは一業種一社制がほぼ守られてきた。

 だが、この制度には難点もある。協賛企業の数に上限があるということだ。つまり、どこの国でも数十、数百億円単位の協賛金を出せる業種・業界は多くても20程度だ、ということである。

 だが、東京大会ではその制約を一気に取り払ったため、史上空前の数の企業がスポンサーとなった。制約を外したのはスポンサー収入を増やしたいためだが、あまりの膨張によって五輪が完全なビジネススキームで運営されていることが強調された。私が『ブラックボランティア』という本を刊行したのは2018年7月で、開催までまだあと2年という段階だったが、すでに多くのスポンサー企業が五輪マークをつけたテレビCMを流しており、協賛価値の可視化に余念がなかった。つまり、もはや国民誰もが五輪は企業マネーで運営されていると分かっているのだ。

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 そうした中で、その五輪運営に無償性や公益性を旨とするボランティアを使おうとするのは明らかな矛盾であるが、人々の関心がそこに向かうのは巧妙に避けられている。

©️iStock.com

商業化は84年のロサンゼルス五輪から

 五輪商業化の元をたどれば、1984年のロサンゼルスオリンピックにさかのぼる。以降、スポンサー企業集めが解禁され、競技への注目度喚起のためプロ選手の参加も解禁された。そのため、五輪の基本理念であった「アマチュアスポーツの祭典」という概念はすでになくなっている。

 ロス以前のオリンピックは都市や国家が中心となって開催されるもので、必然的に予算の多くは税金であり、その節約のために無償ボランティアは必要不可欠であった。それまでのオリンピックはアマチュアリズムを基本とした祭典であり、そこには利潤追求という目標はなかったからだ。

 だがその理想ゆえに開催国は巨額の赤字に悩まされ、オリンピックの存続そのものが危ぶまれていた。72年には米国コロラド州が住民投票でデンバー冬季大会を返上する事態となり、76年のモントリオール大会は巨額の財政赤字を発生させた。その結果、84年の五輪招致に手を挙げたのはロサンゼルスだけという状況に陥っていたのだ(『オリンピックと商業主義』小川勝著、123ページ)。

 それゆえに、企業スポンサー制の導入という税金に頼らないシステムを構築する必要があった。

 一業種一社の原則は、スポンサー制度を始めたロス五輪組織委員長のピーター・ユベロス氏が五輪のブランド価値を最大化するために導入したとされている。またこの時点では、この原則は過度の商業主義に陥らないための歯止めと考えられていたようだ。

 だがロス五輪以降、IOCはすべての競技におけるプロの参加、企業参加、全世界へのテレビ放映権の販売等の五輪の商業化をさらに推し進め、巨額のスポンサー料金とテレビ放映権料に支えられた現在の体制ができ上がった。