サッチャーに心酔する「自助の精神」は前世紀の遺物
――片や菅首相はコロナ禍のさなかで「まず自助」を打ち出しました。Go Toキャンペーンには1兆円以上つぎ込んでいるのに。
ブレイディ あれには大変驚きました。折しもテレビで「80年代のサッチャーと労働組合の戦争」を描いたドキュメンタリーがやってましたが、「サッチャーはシンパシーはあったけどエンパシーはなかった」と当時の側近が語っていたんです。身内の人や周辺の立身出世してきた人たちにはすごく優しかったが、庶民の気持ちは全くわからず、また、わからなかったからこそ冷徹な弱肉強食の経済政策を強行できたのだと。
結局、サッチャーやレーガンの時代にはじまった新自由主義の発端において為政者にエンパシーが欠如していたというのはすごく象徴的です。新自由主義経済と能力主義(メリトクラシー)という亡霊が席巻し、格差がどんどん拡大した。
――「亡霊」の最たるもので、一番衝撃的だったのは“負債道徳”に関する実例です。マラリア撲滅支援の撤退でたとえ5000人の子供たちが死んだとしても、国の債務返済のためなら財政支出を絞ることは仕方がない、といった非人間的感覚。人が経済の仕組みのなかで圧殺されていくことを黙認するシステムの頑迷さは、もはや「呪い」としか言いようがありません。
ブレイディ 日本ではデフレがずっと続き、いわゆるアベノミクスの3本の矢は金融緩和はやったけど財政出動は全然足りなかったという評価も多い。私は一貫して緊縮財政を強く批判してきましたが、コロナ危機のさなかの今こそ政府がお金を出さないと間接的に死に追いやられていく人が沢山出てくる、政治の方向性が問われる分水嶺と言ってもいい時期。
今とくに辛いと思うのは、女性の自殺者が増えてること。社会のしわ寄せはまっ先に弱いところ、所得の低い層に現れます。沢山の女性や若者が一番簡単に切られやすい立場で働いていて、独り暮らしの同年代ぐらいの女性の話を聞いても、仕事への不安が非常に大きい。
失業者の急増や雇用不安を受けて、バイデンは、21世紀のルーズベルトになるつもりか、というくらい大規模な財政支出に踏み切りました。欧州でも財政規律を一時停止して、各国政府が景気を支えるために大規模な財政支出を行ってきたし、今後数年は継続する必要があるという声がすでに上がっている。一方、日本では「自助の精神」で、いまどき前世紀の遺物のサッチャーに心酔したような政策をとって、いったいどこに向かっているんでしょう。