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甲子園球場まで自転車で10分。西宮在住の巨人ファンが“迫害”に負けない理由

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/09/19
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空想の世界にしか「巨人」がなかった

 私は学校から帰宅すると、すぐさま宝物であるジャイアンツのユニフォームに着替え、友達との遊びの野球に日々、興じた。寝る時はきれいにたたんで枕元に置き、時にはパジャマにもなった。地域の野球チームにも所属していたので、一度コーチに「このジャイアンツのユニフォームで試合に出てはだめか?」と訴えてみたが却下された。

 アメリカで野球は春から夏にかけてのシーズンスポーツのため、それ以外の季節で放課後に野球に付き合ってくれる友達を探すことは容易ではなかった。それでも、たとえ一人の日でもジャイアンツのユニフォームを身にまとい、壁当てと素振りに明け暮れた。

 家庭用ビデオデッキが普及していれば、巨人戦が録画されたビデオを祖母に送ってもらうこともできたのだろうが、まだそんな時代ではなかった。ジャイアンツの選手が実際に動いている姿を見たことがないので、各選手がどのようなフォームで打ち、守り、投げているのかは本に載っている写真から想像するしかなかった。だが、その空想作業すらも趣味の領域と化していた。

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(王選手の1本足打法ってどのタイミングで右足上げてるんだろうなぁ。「フラミンゴ打法」って言うくらいだから、ピッチャーが振りかぶる前からずっと片足で待っているのかもしれないな。あぁ、早く日本に帰って、動く王選手が見たい! 動くジャイアンツ戦士が見たい!)

 小学3年生も終わりに近づいた1977年1月。会社から帰宅した父の口から悲願の言葉が飛び出した。

「アメリカ駐在、終わりだ。3月に日本に帰ることになったぞ」

 約6年ぶりの帰国。空港からタクシーで真っ先に向かった母の実家で祖父母との歓喜の再会を果たし、リビングのテレビに目をやると、巨人のホーム用ユニフォームが目に飛び込んできた。大洋ホエールズとの春季オープン戦が放映されていた。

(あぁ、これは柴田選手……。次は高田選手、張本選手、王選手……。みんな動いてる……。みんなこんな打ち方だったのか……。小林繫投手のサイドスローってこんなカクカクした投げ方だったのか……。全然想像と違ったな……)

 私はあふれ出る涙をセーターの袖で何度も拭いながら、数年間繰り広げた空想劇の答え合わせをしていた。

 王選手が足を上げている時間は、想像していたよりもはるかに短かった。

 ようやく巨人ファンとしての本格的なスタートを切れた気がした。

王貞治 ©文藝春秋

「なんでジャイアンツのユニフォームなんか着とんねん」

 1977年度のペナントレースが開幕した頃、完成間もない分譲マンションに入居した。

 新たな生活圏は甲子園球場のすぐそばだった。

 マンションの横に『ドラえもん』に出てきそうな土管が置かれた空き地があり、同世代と思しき小学生たちが草野球に興じていた。私は急いでジャイアンツのユニフォームに着替え、バットとグラブ片手に「ねぇ、僕も仲間に入れてよ!」と、空き地に足を踏み入れた。返ってきた反応は期待していたものではなかった。

「見たことない顔やな。おまえなんでジャイアンツのユニフォームなんか着とんねん」

「そのユニフォーム着ないんなら入れてやってもええけど」

 よくよく見ると大半の少年たちはタイガース帽をかぶっていた。私は、自分がどういう町に引っ越してきたのかをその時に初めて理解した。

(タイガースファンになることができれば間違いなくこの地では生活しやすくなる……。でもいまさらなれるのか……?)

 そんな思いが湧き上がったが、すぐに「無理だ」と悟った。すでに血液はオレンジ色になっていた。

 あれから44年の月日が流れた。

 今もなお大切に保管しているジャイアンツのユニフォーム。ダブルニットの生地に触れるたび、この地で巨人ファンとして生きていく覚悟を決めた小4の春と、亡き祖母がくれた大きな優しさを思い出す。

©服部健太郎

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