仕込みの過程では、台本を読み込む必要がある。セリフを覚えるのが早くない内野は、最初にサッと読んで大まかなイメージをつかむと、それからセリフを1行ずつ、これはどうやったら言えるだろうかなどと考えながら、何時間もかけて読み込むという。そのあとも数日寝かせて、また新しい感覚で取り組むという具合に、とにかく時間をかける。
台本の大幅な遅れに怒ってとった行動
それだけに、井上ひさし作の舞台『箱根強羅ホテル』(2005年)への出演に際し、台本が大幅に遅れたときには、さすがに内心怒ったという。井上は稽古の途中で、俳優たちを焼肉パーティーに招待したが、内野は懐柔されまいと一人だけ欠席したとか。ただ、井上の名誉のために付け加えておくと、完成した脚本は、セリフがシンプルで覚えやすく、イメージも読んだだけでパッと広がるので、ギリギリに渡されても頭に入ったそうである(※3)。
内野が台本を読み込むのに時間をかけるのは、もともと劇団出身だからでもある。彼が育った文学座は、杉村春子らによって旗揚げされ、樹木希林、松田優作、桃井かおりなど多くの名優を輩出した新劇界の名門である。内野の同期には、こうした諸先輩のようにいずれは映画やドラマに出たくて劇団に入ってきた人もいたが、彼自身はもとから俳優志望だったわけではない。
早稲田大学に入学当初はジャーナリスト志望で、部活動もディベートをやりたくてESS(英会話クラブ)に入った。しかし、そこでたまたま英語劇にキャスティングされ、しだいに演じることにのめり込んでいく。熱中するあまり、大学4年生のときに単位を落として留年してしまう。そのとき、文学座の演出部にいた先輩から「1年間遊んでいるくらいなら、演技の勉強のため入所試験を受けてみろ」と誘われ、数十倍の倍率を突破して合格し、文学座附属演劇研究所に入る。
研究所では本科を経て1993年、大学卒業と同時に研修科の1年となる。1997年には座員に昇格して、2011年まで在籍した。この間、1993年12月にシェイクスピア作の『女たちの十二夜』で初舞台を踏み、白石加代子、高畑淳子、生瀬勝久などといった個性派俳優を相手に無我夢中で演じた。1996年には森田芳光監督の『(ハル)』で映画デビューし、さらにNHKの連続テレビ小説『ふたりっ子』への出演により一躍人気を集める。なお、名前の聖陽の読みは、デビュー以来、本名と同じ「まさあき」だったが、2013年に「せいよう」と改めている。
『きのう何食べた?』に出演した理由
近年も、ドラマや映画とあわせて舞台に立ち続ける。目下、井上ひさし作の舞台『化粧二題』を各地をまわりながら再演中だ。本人に言わせると《僕が思うのは、役者っていただいた役がご縁で続いていくものだってこと。だから目の前にある役を全うすることに精一杯。舞台を中心にやりたいとか、映画がいいといった希望はないんです》(※4)。
そう語った雑誌記事では、《強くて男らしい役のオファーをいただくことが多いですが、『えっ、この人がこの役やるの?』と思われるような“逆振り”をしたい》とも話していた。冒頭にあげたドラマ『きのう何食べた?』に出演したのは、この翌年、2019年である。同性愛者の役はこれ以前にも舞台『トランス』(1998年)で演じた経験があるが、映像作品では初めてだった。彼自身、自分のそんな姿をちょっと見てみたくて、ぜひやらせてくださいと引き受けたという(※5)。