「選挙妨害」の報酬をめぐりトラブルが?
火炎瓶投げつけ事件は発生から3年余りを経て解決へ向けて動き出した。福岡、山口両県警は2003年11月、指示した工藤会系組長や実行犯の組員、知人の元会社社長ら6人を非現住建造物等放火未遂と火炎瓶処罰法違反容疑で逮捕するとともに、工藤会の組織的犯行とみて北九州市の同会本部などを家宅捜索した。
その後の取り調べで工藤会系組長や元会社社長は襲撃の動機について、にわかに信じがたい驚愕の供述をしたのだった。
「(前年の)下関市長選で安倍が推した候補の選挙運動に協力した。候補は当選したために、500万円の報酬を受け取るはずが、300万円だけだったので犯行に及んだ」
工藤会系組長や元会社社長らの初公判は2004年6月、福岡地裁で開かれた。検察側は冒頭陳述で犯行動機について、「元会社社長が1999年の下関市長選で安倍が推す候補を支援し、当選したため安倍側に現金500万円を要求した。安倍側は300万円を工面したが、その後の要求を拒否されたため、工藤会系組長とともに犯行を決意した」と主張した。
工藤会系組長の判決公判は2007年3月に開かれた。福岡地裁は、「人への被害もありえた危険な犯行で、金銭のためには放火もするという動機も身勝手」と述べて組長に懲役20年(求刑・無期懲役)を言い渡した。
2008年1月の福岡高裁の控訴審判決でも、「事件の首謀者として、配下の組員に命じ、火炎瓶を繰り返し投げ付けて(安倍側に)圧力をかけた陰湿な犯行」と控訴を棄却、懲役20年とした。実行犯の組員らも有罪となっていた。
裁判は有罪判決が宣告されて終結した。しかし、1999年の下関市長選にあたり、安部側が暴力団である工藤会やその周辺者である元会社社長側に500万円の報酬を約束して対立候補の妨害工作などを依頼すること自体が反社会的行為であり、事件の本質的な問題といっても過言ではないはずだが、不問に付されたままだ。
報酬は500万円だったはずが、差額の200万円をめぐってトラブルとなり、火炎瓶が投げつけられる事件は起きた。約束に反したとしても300万円は提供されており、判決文でも「被告人は、かねてから交際していた議員の地元秘書に対し、1999年に行われた下関市長選挙で自派と対立する候補を当選させないように活動して貢献したと主張して金員の支払いを要求し、300万円の提供を受けた」といった主旨が明記されている。
警察当局の捜査幹部は、「理由はどうあれ現金を提供した行為は、現在であれば(2011年までに全国で整備された)暴力団排除条例に違反している」と指摘している。(敬称略)