序盤から賛否両論という「異例」
このストーリー展開に対して、当然ながら驚き戸惑う感想は出ている。自己実現どころか、安子は苦難と焦りの中ですべてを失う一方にみえるからだ。だがいつもの朝ドラの賛否両論と違うのは、これがまだ序盤だということである。
朝ドラの脚本に賛否好悪が分かれるのは、たいてい中盤から後半である。物語の主人公の運命が分岐し、その選択に共感できるか否か、前半から重ねてきた伏線を手際よく回収できたか、作品全体として訴えるメッセージが見えてきたかどうかで脚本家への評価は定まる。将棋の棋譜がそうであるように、脚本の名手も悪手もともに中盤から大詰めで飛び出すものなのだ。
だが『カムカムエヴリバディ』は、通常はまず指し間違えない序盤でこれまでの「定跡」とまったく違う駒を進める。ヒロインが職業女性としての自立を挫かれ、兄に裏切られ、そして自分の娘とも別離する。これが物語の終盤であれば完全な「詰み」、投了の展開であり、脚本家はいったい何を考えているのかと言われても仕方ないだろう。
だが視聴者たちがまだこの展開を「脚本家の悪手」と断じられずにいるのは、まだ展開が序盤も序盤であり、しかも持ち時間を切らして1分将棋に追い込まれた終盤の苦し紛れの一手ではなく、藤本有紀という脚本の名手が入念に準備し、満を持して指してきた序盤の奇手だからだ。
以前の記事にも書いたが、現在出ているオフィシャルガイドブックでは、3ヶ月分ほど先取りで明かされることが多いあらすじが、たった3週分しか明かされていない。それは結果的に、この驚きの第一部の幕切れを気の早い視聴者に先取りで読ませず、ネットでのネタバレを防ぐことにもなった。これが奇手であること、観客や解説も含めて混乱するであろうことを指し手、作り手は読み切っていたとようにも見える。
そして安子を演じる上白石萌音もまた、この序盤の物語を描くために入念に選ばれたヒロインだったのだろう。それは戦中から戦後の激動に歯を食いしばって自立を試みながら、ついに力尽きる無念の日本女性像だ。