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「このあたりに来てようやくわかったのだが…」

 このあたりに来てようやくわかったのだが、長津田周辺は実はかなり起伏に富んでいるようだ。

 

 陸橋のすぐ近くにあった小高い丘の公園に登って北側を見下ろしてみると、遠くの丘にマンションがいくつも建ち並び、その手前は一段低い低地になっている。全面的に住宅地というわけでもないようで、農地などもかなり残っているようすが見える。こどもの国線の終点のこどもの国は、遠くの丘の向こう側にあるのだろうか。

 

 そんな見晴らしのこの公園には、「皇太子殿下御野立之跡」と書かれた記念塔が建っている。文字通りに受け取れば、長津田駅の近くのこの丘に、皇太子殿下がやってきたことがあるというわけだ。もちろん皇太子といっても時代によっていろいろなので、どの皇太子殿下なのかが気になるところだ。

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調べてみると…

 そうして調べてみると、皇太子殿下がやってきたのは大正10年、西暦にして1921年のことだという。戦前は毎年1回陸軍による特別大演習が行われていて、それを天皇陛下が総監することになっていた。大正10年の特別大演習では、当時の皇太子、のちの昭和天皇がその役割を担う。東西二軍に分けられた陸軍の各部隊が多摩川を挟んで向き合って決戦するという訓練だったようだ。

 

 そしてこの演習を皇太子殿下は長津田の丘の上から眺めたのだとか。いまのようにタワマンもなければ住宅地もなく、とにかく見晴らしに優れていたのだろう。

 

 そして、その当時になかったのはタワマンや住宅地だけではない。いまや長津田の名を広く知らしめるに貢献した東急田園都市線は、戦前にはまだ開業していない。田園都市線が長津田にやってきたのは、戦後もだいぶだってから、1966年のことだ。

 つまり、それまでの長津田には横浜線だけが通っていたというわけだ。横浜線は八王子の生糸を貿易港の横浜まで運ぶために作られた路線で、歴史は古く1908年に開業。長津田駅もそのときに誕生している。当時は私鉄の横浜鉄道だったが、ほどなく国に借り上げられてそのまま国有化された。

 その時代の地図を見てみると、確かに長津田駅の周りにはほとんど何もないことがわかる。駅の北、東側になにやら小さな集落があるのと、南側の道路沿いに市街地らしきモノがあるくらい。

 駅の南側は丘陵地になっていて、北側は恩田川沿いの低地。そこは地図記号によると一面の桑畑だ。桑畑は生糸づくりに欠かせないお蚕様を育てるためのエサ。一面桑畑の長津田でも、生糸が生産されていたのだろう。昭和天皇が皇太子時代に陸軍大演習を眺めたときも、基本的には桑畑からあまり変わっていなかった。