「ワシは福建省で建設の専門学校を卒業して、1997年に大阪に来たんだ」
私のインタビューにそう話した林伝龍は中国福建省福清市生まれ。日本のGDPがまだ中国の9倍以上もあった20世紀末、阪神淡路大震災の復興需要に沸く西成の街に流れ着いた彼は、ろくに日本語もできないまま建設業の日雇い労働者として働きはじめた。
「しばらく経ってから、西成の街でラーメン屋をはじめた。けれど、朝から晩まで働いても生活はギリギリだったから、5~6年後に居酒屋に業態を変えた。カラオケが歌えて、お酒を飲めるタイプのやつだ。あの当時は生活保護受給者のお客さんが多かったなあ……」
日本国内の中国語紙の記事によると、林伝龍がラーメン屋をはじめた当時、商店街の近くにある中国系の店は、日本人の配偶者になった上海人が経営する店舗が1店あるだけだったという。
みんな福建省福清市
「そして、たまたま売りに出ていた空き店舗があった。だから、ワシが買った。数年の賃料で店舗の購入費をペイできるようだったから、他にもこの商店街で空き店舗を買って人に貸す商売をやれば、いけるんじゃないかと思ったんだ」
「そこで、2店舗、3店舗……と物件を徐々に増やしていってな。様子がゆるゆると変わっていった。いまは20軒ほどをうちが管理している。他の中国系の店舗については、よその業者だ」
とはいえ、他の中国系の不動産業者も、同郷の人やその親戚だったりする。広い意味で林伝龍と関係がある店舗はおそらくずっと多いだろう。店子には東北部(旧満洲)出身者など他地域の人もいるが、基本的には福清人の姿が目立つ。商店街の中心に拠点を置く、2017年設立の「大阪華商会」の幹部層もすべて福清出身者だ。
ちなみに現在、大阪府内における中国人の商工団体や同郷団体は約20組織、そのうち福建系だけで3組織もあるそうだが、実質的に「西成区の福清出身商人の会」に近い大阪華商会は、そのなかでは規模が大きくない。逆に言えば、西成のごく狭い範囲に、100人から数百人もの福清人が集中的に食い込んでいるといえる。
「かつては商店街の地価も1坪10万円くらいだった。しかし、いまは悪い立地でも坪30~40万円。いい場所は坪100万円前後のところもある。コロナ禍のあとも地価は下がっていないなあ」
林伝龍は話す。中国人はひとつ儲かる商売を見つけると、先行する他者のマネをして参入する。日本国内の中国語紙が西成の盛況を報じたことで、さらに新規参入者が増加し、2017年ごろからは中国系のカラオケ居酒屋が増加しはじめた。
実はめちゃくちゃ高い西成のポテンシャル
西成区は「日雇い労働者の街」あいりん地区のイメージと、旧遊郭の飛田新地の存在ゆえに、日本人からは忌避感を持たれやすい。だが、関西空港や新幹線、さらに大阪各地の観光地とのアクセスが良く、外国人目線では魅力のある地域である。ゆえに林伝龍の商売も軌道に乗った。
「2018年ごろから建築業にも進出した。それまでにもカラオケ居酒屋の店舗内装は請け負ってきたし、ワシ自身、むかしは建築をやっていたからな」