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2、雲仙普賢岳噴火:皇太子と天皇、与えた“インパクトの差”

 ターニングポイントの第二は、1991年7月の長崎県雲仙普賢岳噴火に対する被災者への見舞だろう。

雲仙普賢岳噴火で、中学校の体育館に避難している住民と膝を交える天皇陛下(写真は1991年、当時) ©時事通信社

 前年から起きていた被害に対し、平成の天皇・皇后は大きな関心を寄せた。そして、被災者への見舞のための訪問が決定する。未だ被害が収まっていないなかで、天皇・皇后が被災地を訪問するのは異例であり、それだけ本人たちの強い意思があったからではないか。

 しかも本人たちの意思で、奉迎行事などは行われず、極めて簡素な形で訪問が実施された。それは、被災地へ迷惑をかけたくないという思いからだっただろう。ここにも、「国民とともにある」という意思が見える。

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1986年に起こった三原山の噴火。このときも当時皇太子だった平成の天皇は被災地を訪問された

 この被災地訪問では、天皇・皇后は仮設住宅や避難所を訪れ、被災者と目を合わせ、一人一人に声をかけた。天皇が床に膝をついて、被災者と同じ視線で話す。このことは皇太子時代の1986年伊豆大島三原山噴火に際して避難した被災者を見舞った時にもあったが、やはり天皇という存在がしたことのインパクトは大きかった。

2012年、東日本大震災の仮設住宅を訪問された天皇皇后両陛下(当時) ©文藝春秋

 その後、天皇・皇后は頻発する自然災害の被災地を積極的に訪問し、被災者たちに声をかけた。時に手を握り、目を合わせ、一人一人と会話をする。天皇・皇后はそこで苦しみを分かち合い、被災者を励ました。その姿勢がいわゆる「平成流」の一つの柱になっていく。