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「他の人間と変わらないではないか」秋篠宮家バッシングの源流、“お言葉”への動揺…皇室が歩んだ「5つの分岐点」

2022/05/01
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4、サイパン島訪問:異例の訪問を生んだ「戦争と平成の天皇」

 第四のターニングポイントは、2005年6月のサイパン島訪問であろう。これはいわゆる「平成流」のもう一つの柱である、戦争の記憶への取り組みという問題である。

 これもすでに皇太子時代から、昭和天皇の代理として外国訪問をするなかで、訪問国における戦争の記憶に触れるなど、その問題には取り組んでいた。天皇即位後、1995年の戦後50年にも長崎・広島、沖縄、そして東京大空襲で亡くなった人々の遺骨が納められた東京都慰霊堂などを相次いで訪問し、慰霊の旅を続けていく。記者会見でも戦争に関する言及が増加した。

 そして、8月15日の戦没者追悼式では、「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」との表現を使用した「おことば」を述べ、翌年以降の戦没者追悼式でもこの文言を継続させていった。

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2005年6月、サイパン島で激戦の日の説明を受ける天皇皇后両陛下(当時)©AFLO

 そして、戦後60年の2005年になると、アジア・太平洋戦争の激戦地であったサイパン島への訪問が実現する。天皇・皇后の外国訪問はその国からの招請という形式で行われるのが通例であるところ、この訪問は天皇の意思によって行われた。それだけ異例だったと言える。

 サイパンでは遺族会や戦友会の人々から話を聞いたり、戦没者慰霊碑を訪問したりしている。自らの意思で積極的に戦争の記憶を掘り起こす作業を行っていったのである。こうした天皇の姿勢は、特に護憲派のようなリベラル陣営に大きな影響を与えたと思われる。

太平洋戦争中の激戦地の慰霊も行った平成の天皇陛下(写真は2015年・ペリリュー島)©JMPA

 こうした人々は、従来ならば天皇制に批判的な意識を有していた。ところが、安倍内閣の安全保障関連法案、集団的自衛権の問題に代表されるように、国内情勢・国際情勢は護憲派が考える理念から変化しつつあった。それゆえ、彼らは天皇・皇后の行動をそうした情勢に歯止めをかける象徴ととらえ、支持するようになった。

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