平成の末期、天皇・皇室に対して、人々は空前の規模で支持していた。それは、いわゆる「平成流」の2つの柱への評価であったと思われる。
第一に、雲仙普賢岳から阪神淡路大震災、東日本大震災へと継続する被災地訪問のあり方である。老体にムチを打っているかのように見えてしまうほど、天皇・皇后は積極的に被災地を訪問し、人々に声をかけた。それが「私」を重要視している世間の風潮のなかで、「公」に奉公していると評価されたのではないか。
第二に、慰霊の旅に代表される戦争の記憶への取り組みである。世間では戦争体験世代が減少し、その記憶が風化するなかで、天皇・皇后の行動はその掘り起こしでもあった。政権の方針とは異なるように見えるその思想と行動は、それまで皇室を支持していなかった層をも取り込むことに繋がったのである。
5、「おことば」:保守派の「他の人間と変わらないではないか」と平成流の30年
最後のターニングポイントは、2016年の退位の意思をにじませた平成の天皇の「おことば」であろう。天皇はこのなかで、自分の行ってきた象徴としての模索に自負心を示しつつ、それを若い世代にそのまま引き継いでもらうがゆえの退位という選択肢を提示した。
それとともにここで平成の天皇は、権威としての天皇ではなく、むしろ自身も老いていく存在であることも人々にさらけ出した。その意味では、天皇も人間であることがより明確に人々に提示された(天皇による新たな「人間宣言」と述べた論者もいたくらいである)。「国民とともにある」という、天皇に即位して最初に述べた「おことば」のように、自身も国民に近づいた存在であることを示したと言える。
この平成の天皇の「おことば」に対して、天皇を権威と考える保守派の方からむしろ反対の声があがった。それでは他の人間と変わらないのではないかと。しかし、多くの国民は天皇の思いを汲み取り、退位を後押しした。ここで、平成の天皇が模索してきた天皇像は、完成形を迎えたと言える。
そして、2019年4月30日、平成の天皇は近現代史上、初めて退位した天皇となった。その時、テレビでは各局が特別番組を放送し、街には人があふれた。そうした雰囲気のなか、「令和」がスタートしたのである。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。