引退の契機は「コロナ禍」
岡田正泰さんが亡くなったのは2002年のことだった。札幌ドームでの広島戦の応援から帰京後に体調を崩し、71歳で突然亡くなった。「いつまでもいてくれる人だと思っていた」から、何も覚悟はしていなかった。二人きりで写真を撮ることもしなかった。もちろん、別れの言葉も何も交わしていなかった。
「岡田さんに最後に言われた言葉は、今でもよく覚えています。“お前はセンター、バックスクリーン辺りを盛り上げてくれ”でした。それが、岡田さんからの最期の指令でした。それ以来、その指令は解除されていません。だから、その後もずっと、特にセンター付近を盛り上げることを強く意識していました」
ツバメ軍団引退の契機となったのは新型コロナウイルス禍だった。岡田さん仕込みの軽妙な話術で、ファンを盛り上げることができなくなった。ファンの背中を見ながら応援歌が吹き込まれた音声を流すことしかできなくなっていた。
「満足のいくタイミングで、適切なセリフ、適切な選曲でファンのみなさんを盛り上げることができなくなったこと。ファンの人のお役に立てている実感が得られないこと。ツバメ軍団にも学生を中心に若いメンバーが増えてきたこと。仕事が忙しくなってきたこと……。いろいろなことが重なり合って、身を引く決意をしました」
“引退試合”は敗戦、観客復帰試合は快勝
こうして迎えたのが5月26日の日本ハム戦だった。24日、25日はサヨナラ勝利を挙げていた。26日はリードで迎えた9回表に追いつかれて延長戦にもつれ込んだ。「3夜連続サヨナラ勝利」の期待が高まる中、結局は延長戦の末に日本ハムに敗れ去った。
「僕らしい最後だと思います。岡田さんも、“そんなに甘くねぇよ”と、向こうの世界で笑っていると思います(苦笑)」
ツバメ軍団からの引退を控え、彼は岡田さんの墓前に引退の報告をした。ようやく肩の荷が下りたような気がした。さまざまな思い出話を聞いているうちに、試合は終わった。ヤクルトはロッテを下した。球場内に鳴り響く東京音頭。「応援団ラスト試合」は敗れたものの、「一観客復帰試合」は初陣を飾った。31年の感慨を込めて、彼は言った。
僕は岡田団長のファンで、彼が愛したファンのファン
「たぶん僕は、スワローズファンというよりも、岡田正泰ファンだったのかもしれません。そして、彼が愛したスワローズファンのファンだったのだと思います。いつも前向きで、いつも力強く応援してくれたスワローズファンのファンだったのだと思います」
神宮球場の居心地のよさは、そのロケーションにあると同時に、「ファンのファン」だという彼を中心にしたツバメ軍団の「応燕」によるものでもあったのだ。そんなことを痛感する言葉だった。これまでとは違うスタンスで、彼はこれからも神宮球場に足を運ぶ。ビールを飲み、傘を振り、ヤクルトの勝利に歓喜し、敗戦には悔しさをかみ殺す。これから始まる「一観客」としての日々。新たなスタンスで、新鮮な心境でヤクルトとの関係は続く――。
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