「東京オリンピック」の本当の姿を描いた二つの映画
この「ひととまちとの有機的なつながりの終焉」を描いた二つのドキュメンタリー映画がある。
一つが、昨年公開された青山真也監督の『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』だ。
都営霞ヶ丘アパートは、敗戦後まもなく建てられた木造住宅が老朽化し、「五輪開催を前にして見映えがわるい」との理由から、64年の東京大会の際に国立競技場に隣接するかたちで再開発された小規模の都営住宅である。このアパートが今回の新国立競技場建設計画のあおりを受けて撤去対象となり、住人たちは都から一方的な立ち退き勧告を受けることとなった。映画は、若くて60代、上は90代となる高齢者の住人たちが、アパートのなかで小さな共同体を築いて生活している様子を淡々と映し出す。しかし、淡々としているがゆえに、そこにあった日常が奪われることの暴力性、起きてしまったことの取り返しのつかなさが、観る者の心にズシンとのしかかる。
もう一つの映画が、村上浩康監督の『東京干潟』(2019年)である。これは、多摩川の河口の小屋でしじみを獲りながら10年以上くらしている老人を撮影したドキュメンタリーで、一見すると都会の片隅に生きる奇妙な賢人のポルトレ、あるいは多摩川の生態系の記録映画と思われるが、つぶさに観ていくと、これもまた東京五輪を背景とした「まちこわし」を描き出した映画であることがわかる。
『東京2020オリンピック』を観る(観た)ひとには、是非この二つの映画もご覧いただきたい。彼岸から見れば顔のない群衆、しかしその一人ひとりが「私」という主語をもった生活者であり、そこには驚くほど豊かな人生の時間が流れているという、あたりまえだがかけがえのない真実を知ることからしか、東京オリンピックのほんとうの姿は見えてこないと思う。