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 ただし、彼はその後もスープラの開発責任者であり続け、名古屋からスープラのマイナーチェンジをドイツに指示していた。

 不思議な責任者だった。

 しかも、多田の後任のチーフエンジニアは、それから1年以上も空席になったままだったから、少なからぬ技術者が「どうなってるんだ」と首をひねった。「社長や幹部がしっかりしていれば、もうCEは必要ないということなのか」という声もあった。

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 古くは「車両担当主査」と呼ばれたチーフエンジニアは、トヨタの製品開発の柱であった。その企業文化の中で育った技術者たちが、一部門だけにせよ、チーフエンジニア不在の時代をいぶかしむのは当然のことだっただろう。

 そうしたトヨタの変化をじっと見つめる人々がいた。

そして一人の男がトヨタを去ることを決めた――

 ドイツの甲斐もそのひとりだった。彼は本社から「ミュンヘンオフィスを2019年中にたたんで帰国してこい」と指示を受けたのを機に、ドイツで転職活動を始め、その年の末にはトヨタに辞表を提出してしまった。「マグナ・シュタイヤー社のドイツ拠点に転職する」というのだ。

©AFLO

 彼の師匠だった主査の野田は国際電話を受けて「本当か!」と大声を上げ、「もう引き留めても無駄なのか……」と絶句した。同僚たちも仰天した。

 甲斐の妻は怒った。彼女は大学でのキャリアを手放し、ドイツでようやく生活の安定を実感しつつあるころだった。

「なんで辞めないといけないの? 日本に帰ればいいじゃない。辞める理由がわからない。家族の生活がかかっているのよ」

 まったくその通りなのだ。彼女と周囲のこんな言葉は理にかなっている。

トヨタでやりきってしまったという思い

「日本に帰ればトヨタで仕事が待っているし、妻はまた大学に再就職できるだろう。家もある。なぜそれらを放り投げてドイツに残らないといけないんだ。手取りも減る。家族にはすべてリスクでしかないだろう」

 だが、甲斐はトヨタでやりきってしまったという思いがある。ひとつはF1プロジェクトに携わること、もうひとつはZという組織でスポーツカーを企画し、開発することだった。その夢は叶えた。今のままで、BMWとのプロジェクトに注ぎ込んだエネルギーを再充電し、スープラを超える車を作ることはできない、と思った。