「絶対に売れない、儲からない」と言われながらもトヨタ自動車でスポーツカーを懸命に作り続けた男たちを描いたノンフィクション『どんがら』。エンジニアたちはどのように開発に取り組んでいたのか。彼らの栄光と苦悩に満ちた日々を一部抜粋してお届けする(全2回の2回目/前編を読む)。

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スープラの量産第一号車が約40倍の価格で落札される

 デジタル表示の競り値はぐんぐん吊り上がり、広い会場の一角で多田は凝然と立ちすくんでいた。

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 2019年1月、スープラの量産第一号車が米国のアリゾナ州で世界最大級の「バレットジャクソン」チャリティーオークションにかけられていた。発売前に米国トヨタが発案したのだが、競り値は上がり続けて、とうとう210万ドル(約2億3050万円)の落札価格がついた。本体価格が5万5250ドル(約600万円)だから、その約40倍ということになる。

 落札者はトヨタ車などを扱う全米有数のカーディーラーだったが、オークションの結果は1978年から北米に投入されてきたスープラが強い人気を保っていることを示していた。

©AFLO

半年分の予約枠がわずか2日で売り切れる騒ぎに

 多田は先輩の言葉を思い出した。「スープラは日本車じゃなくて、もう米国のものなんだ」。特に4代目にあたるスープラ80型は米国映画『ワイルド・スピード』に登場して人気を集めていた。2002年に生産を終了していたが、ハチロクを開発するころから、米国のディーラーたちは「いっそ5代目のスープラを復活させてくれ」と強く要望していたのだった。その声を意識して今度の90型は「バットマンカー」を思わせる、米国人好みの厳(いか)ついデザインを採用している。

 日本発売は令和がスタートした2019年5月のことである。テレビCMに登場した豊田章男が両手を広げ、「スープラ・イズ・バック!(スープラが戻ってきた)」と叫んでいた。

 ところが、多田の主張に対し、営業部門は2人乗りの趣味の車だからさほど売れないとみて、十分な台数を準備していなかった。営業部門は慎重で、膨大な過去のデータや市場調査結果を盾に、毎回販売計画を低く見積もる傾向にある。蓋を開けてみると、営業の予想を覆して予約が殺到した。半年分の予約枠がわずか2日で売り切れ、1週間ほどで予約を中断する騒ぎになった。