母はいつも髪をショートカットにしていて、ファッションにはまったく興味のない人でした。子どもたちの洋服にかけるお金も関心もなく、私たちはいつもおさがりの服を着ていました。
小学校のときはパジャマのような全身ピンク色の服で学校に行っていた時期もありました。それを見た同級生の男の子に、「マジレンジャーのピンクみたい」と言われ、とても恥ずかしかったことを覚えています。
初めて「自分の服」を買ってもらった日
私が初めて自分の服を買ってもらったのは、小学校4年生の冬のことだったと思います。古くて薄暗い店の床はコンクリートがむき出しで、ところどころに雨水が溜まっていました。
服が無造作に放り込まれた段ボールの側面に、値段が書かれていました。
私は薄いピンク色の生地に、丸いボンボンが胸元に二つ付いているブラウスと、水色の手袋も買ってもらいました。買ったばかりの新品の水色の手袋は、つやつやしていて触り心地がよく、見た目もかわいらしくてひと目で気に入りました。
しかし安物なので、生地が薄く、真冬には指先が冷たくなりました。また、ブラウスも、洗濯をするとすぐに毛玉ができて、着ているうちに毛玉の部分が黒ずんでしまいました。それでも、初めて買ってもらった服が嬉しくて、手袋もブラウスも、毛玉が真っ黒になるまで使っていました。
一度でいいから、母に服を選んでほしかった
それ以来、少しずつ服を買ってもらえるようになりました。店は黄色い壁に、「安売り宣言!」と緑色の文字で書かれていました。
そこで服を買ってもらう際も、数百円~1000円くらいまでの、なるべく安いものにしなさいと言われていたので、母が困らぬよう、できるだけ安い服を選んでいました。1500円を超えると、「高すぎるからだめ」と買ってもらえなかったり、「とにかく安い服だけにして」と道中の車や店に着いたときにも釘を刺すように言われたりしました。
母は、自分は服に関心がなくてよくわからないからと、いつも隣にあるスーパーへ行って買い物したり、車で待っていたりしました。私は、母娘が一緒に「これかわいいね」「あなたにとても似合うよ」と楽しそうに服を見ている人たちを目にすると、羨(うらや)ましく思っていました。
一度でいいから、お金を気にせず母と一緒におしゃれな店で服を買えたら、母に「これが似合うよ」と言って服を選んでもらえたら、と思ってしまう気持ちを堪(こら)えて、胸の奥に隠していました。